僕、塔矢アキラはその日、目覚ましが鳴る1時間も前に目が覚めた。 目覚ましが鳴る前に起きる習慣は両親が、連れ立って海外に行ってしまってからついてしまった。 家に誰もいないと思うと、気が張ってしまい目覚めてしまうのだ。 特に、対局のある日は尚更だ。この間の大事なリーグ入りをかけた対局の日は 起きなければならない時間の三時間も前に目覚めてしまい、時間をつぶすのが大変だった。 今日は、いつもの大手合の日だった。タイトル棋戦ではないが昇段がかかっている大事な、対局だ。 気合いをいれなければ・・・僕はそう思い、布団から立ち上がった。 何から何まで、いつもと変わらない日常だった。 家を早めに出て、棋院へと向かう。もう4年も通っている、通い慣れた道だ。 エレベーターで対局場のある階まであがる。 人の声がやたらと騒がしい。ふと、その声の中心に、見知った顔を見つけた。 進藤ヒカルだ。 前から、進藤に注目せざるを得なかった僕は彼を見つけることが得意になってしまっていた。 進藤は、対局場の前で、他の棋士と雑談していた。 「進藤、お前さ、それはダメだろ。」 その声の主は、和谷くんだった。 自分と和谷くんはそれほど接点があるわけではないが 進藤とは仲がいいようでよく一緒に話しているところを見かけていた。 「いや、だから、ただの幼なじみなんだって」 和谷くんの一言に、何があったのかはわからないが進藤は必死で否定していた。 「だからって、自分の部屋に連れ込むのか?」 「和谷!そんな言い方したら、誤解をうむだろ。連れ込むって…ただ、碁を打ってただけじゃねーか。」 「へぇ。あんな時間にねぇ。」 和谷くんは、疑わしい目つきを進藤にぶつけていた。 「あんな、時間って仕方ねーだろ。あかりの奴、部活終わった後に指導後打て、なんて言ってきたんだから。」 進藤は、必死にそうまくしたてていた。 「そもそも、和谷は知ってんだろ。オレが好きなのは…」 そう言いかけていた進藤の視線とぶつかる。 対局前に、何て会話をしているんだ。もっと真剣になれ。 そういう意味を込めて、僕は進藤を睨みつけた。 進藤は、もう1年も前から一人暮らしをしている。和谷くんと同じアパートで、部屋も隣らしい。 僕も、1度か2度ほど訪れたことがある。 それほど広いとは言えないアパートだが、棋院からも近く立地条件は良さそうだった。 いつか、自分も一人暮しをしたいと考えていた。 父から、離れたかった。それは別に、親を疎ましく思う気持ちからではなく 一人の棋士として、父を見ていたからだった。 どこに行こうと、塔矢行洋の名前が自分について回ることにうんざりしていた。 もちろん、父のことは尊敬しているし憧れの棋士であることに違いは無い。 自分も「最強」とうたわれた父のようになりたいと思う。 だが、このままでは父の名前につぶされてしまう。その前に、父から離れたいと思ったのだ。 しかし、父の方が、家を出てしまった。それにくっついて母までもいなくなってしまった。 結局、家を出る必要性は無くなってしまった訳だが…一人暮しを始めた進藤が、うらやましくもある。 進藤は、僕と目が合った瞬間に、ひどく怯えたような顔つきになった。 僕は進藤の、その表情の意味がわからなかった。 「アキラ、おはよう」 進藤たちより、一足先に対局場に上がると明るい声で自分の名前を呼ばれた。 父の門下生でもあり、僕の兄弟子でもある芦原さんだった。 「今日、対局が終った後、暇?」 芦原さんの言葉に、僕は少し考える。 対局の後は、いつも進藤と僕の碁会所で打っている。特に、いつも約束をしている訳ではないが…。 「聞いてくる。」 僕は芦原さんに、そう告げると対局場の入口にいる進藤に声をかけた。 しかし、声をかけた途端に「うわぁ!」と悲鳴に近い声を挙げた。 「進藤?」 僕がいぶかしげな顔で進藤を見やると、彼は慌てて取り繕うように笑った。 「い、いや、何でもない。何でもない。それで、な、何?」 「今日の対局の後、市河さんのところで打つ?」 「ああ、打とう、打とう。」 僕の言葉に、進藤は大げさに頷いた。 「じゃあ、また後で」 僕がそう言って立ち去ろうとしたときに 進藤がホッと一息ついたような顔をしたのを僕は見逃さなかった。 「芦原さん、ごめん。今日、市河さんの碁会所で進藤と打つことになったよ。」 僕の言葉に、芦原さんはなぜかニヤリと笑った。 「だろうと思った。じゃあ、その時でいいや。俺も碁会所に行ってもいいか?」 「いいけど、珍しいね。芦原さんが来るなんて。」 僕の言葉に、芦原さんは 「いや、ほ、ほら久しぶりに市河さんに会いたいしね。いっちゃん、元気かな」 なんだか焦ったように、そう告げた。 なんなんだろう。進藤といい、芦原さんといい、様子がおかしい。 僕は自分の席についてからも、二人の不可解な行動について考えていたが 「塔矢くん、おはよう」 と今日の対局者である、棋士に声をかけられたので思考を中断した。 「塔矢、わりぃ」 僕が棋院の入口近くにあるロビーで待っていると進藤が慌てたように走ってきた。 「ちょっと、検討してたんだ。」 今日の進藤の相手は、確か伊角さんという年上の棋士だ。 和谷くん同様、進藤とは院生時代からの付き合いらしく、仲が良い。 伊角さんは去年のプロ試験にトップの成績で合格し、桑原先生との新初段シリーズでも6目半の差で勝利を収めていた。 何度か戦ったが、なかなかうまいと思わせる碁を打つ。 進藤は、どうやらその伊角さん相手に勝利を収めたらしい。 「中押し勝ちだ。伊角さん、くやしがってた。」 進藤は得意げにそう言った。 最近の進藤は調子がいいようだった。天元戦は、準々決勝で倉田さんに負けてしまったようだが 来期のトーナメントでは、順調に勝ち進んでいるようだ。その他の棋戦も、高段者相手に勝利しつつある。 僕も、タイトル棋戦は低段者とはあたらなくなってしまったが進藤もその状態らしく よく高段者との対局で見かける。 だが、公式な手合いで進藤と僕があたることは少ない。 だから、こうして碁会所で進藤と打てることが楽しみで仕方ないのだ。 「なぁ、塔矢。」 進藤が電車の中で、そう話しかけてきた。 「今日さ、碁会所行った後に、予定あけといてよ。」 「行った後って、どういうことだ?」 「まぁ、いいじゃん。とにかく空けといてよ。」 進藤の意図がわからない。碁会所の営業時間だけでは打ちたらない、そういうことなのだろうか。 それなら、わからなくもないが…。進藤説明しろ、と僕が言いかけた途端に 「ヒカル!」 突然、進藤の名前を呼ぶ声がした。 「よく、会うね。今、棋院からの帰りなの?」 進藤と同い年くらいの女子学生がにこやかに進藤に話しかけていた。 長くて綺麗な黒髪と、大きな丸い瞳が印象的な可愛らしい女性だ。 「って、え?塔矢くん!?」 女性は驚いたように、僕の方を見る。僕はふと、彼女のことを思い出した。 たしか、葉瀬中で進藤の同級生だったはずだ。名前は藤崎あかりさん。 僕は今日、進藤が和谷くんと話していたことを思い返す。 進藤とは、きっとよく碁を打つ仲なのだろう。 ”ヒカル”と進藤を呼び捨てにする藤崎さんの口調からも、親しいことがうかがえる。 「あ、そうだ。」 唐突に、藤崎さんは何か思い出したようにそうつぶやいた。 「ちょうど今日だね。塔矢くん、誕生日おめでとう。」 藤崎さんの言葉に、僕は思考が停止した。そうか、忘れていた。 今日、12月14日は僕の誕生日なんだ。今の今まですっかり、忘れていた。 「あかり!お前なぁ…何で、言っちゃうんだよ!ってか、何でお前が知ってんだよ!」 僕が、何か言う前に、進藤が藤崎さんを責めるような口調になる。 「え?だ、だって部活の先輩が塔矢くんのファンで、こないだから騒いでたんだもん。 ほら、棋士のプロフィールとかって、週刊碁に載るじゃない、それで…」 藤崎さんは慌てて、そう言った。 「ほら、日高先輩よ。塔矢くん、知らないかな?海王中の囲碁部の…。私、今ね、海王高校にいるの。」 そういえば、藤崎さんの制服に見覚えがあった。15歳の時まで通っていた海王中の女性の制服に似ていた。 中学校とはデザインが多少違うので、すぐには気づくことができなかった。 もう、海王中にいたころの囲碁部の記憶は薄れつつある。だが、日高先輩のことはよく覚えている。 とても聡明な女性で碁も、部活の女性の中では一番、うまかったはずだ。 「だー、もう、あかり!その話は、あとにして。ほら、オレたち、この駅で降りるから。」 確かに、ちょうど市河さんの碁会所がある最寄駅に電車が停車した。 「ちょっと、ヒカル!あとって、いつよ…」 戸惑った表情の藤崎さんを残したまま、電車の扉が音をたてて閉まった。 駅から碁会所に着くまで、進藤は無言だった。 僕は訝しげに思ったが、進藤に聞いてもロクな答えが返ってこないことはわかっていた。 進藤は、藤崎さんが僕と親しげに話すのが気に食わないのだろうか。 僕は藤崎さんに対して、恋愛感情なんて持ち合わせていない。 そもそも、今日、初めてまともに話したのだから。 藤崎さんが興味があるのは、きっと進藤だ。僕じゃない。それは進藤が一番、わかっているはずなのに…。 僕と進藤は何も話さないまま、碁会所があるビルの前に着いた。 「あれ、電気が消えてる。」 進藤が、そう口を開いた。僕も驚いてビルを見上げる。確かに、碁会所の窓は真っ暗だった。 「今日、やってないのかな?」 「いや、急に休んだりするときは市河さんが僕に連絡をくれるはずだ。」 僕の言葉に、進藤は首をかしげる。 「じゃあ、何だろう。とりあえず、行くだけ行ってみるか」 僕と進藤は、碁会所の階段を上った。 やはり、ガラス戸から中を覗くと真っ暗だ。おかしいな。不安に思い、僕は扉に手をかけた。 扉を開けた瞬間にパンッと大きな音がした。何事かと、僕は驚いた。 進藤も驚いたようで、目を丸くしている。 「アキラくん、おめでとー!!」 市河さんの明るい声と共に、パッと電気がついた。 僕は、何も言えずにただただ市河さんを見つめることしかできなかった。 碁会所のお客さんたちもニヤニヤしながら入口に立っている。 「アキラの驚いた顔が見たかったんだよな。やった。」 気が付くと、芦原さんも入口に立っている。 先ほどのパンッという音の正体は、みんながもっているクラッカーのせいだと気づいた。 僕は急に照れくさくなってしまった。この碁会所で誕生日会を開いてもらったのは、小学校の時だけだ。 それ以来、めっきり無くなっていたのに。 「芦原先生が突然、やってきて電気消せー!なんて言った時には どうしたことかと思ったけど…若の誕生日だったとはね。」 「懐かしいなぁ。あの時の、若先生、まだこーんなにちっこかったんだよなぁ。 今じゃ、もうプロで第一線を張ってんだ。」 碁会所のお客さんたちが口々にそう言い合う。 僕も、ふと小学生のころを思い出した。 忙しい父に変わり、お客さんたちが僕の相手をしてくれた。 芦原さんや緒方さんも、この碁会所に足を運んではよく僕と打ってくれた。 僕にとっては、ここは家といってもいいくらいだった。 「それでね、アキラくん。これ…」 はい、と市河さんに手渡されたのは高級そうな白い紙袋だった。 「大したものじゃないんだけど、アキラくんにどうしても渡したかったの。 もう、こういうのは辞めにしようって思ったんだけど…プロになったお祝いよ。 それぐらいさせてね。」 「ありがとう。」 これで受け取らないのは失礼だと思ったので、僕は素直にもらうことにした。 「たいしたものじゃないって、それ、プラチナのダイヤのネクタイピンだぜ。 市河さん、アキラに甘いんだから。今じゃ、コイツ、オレより稼いでんのに。」 芦原さんの言葉に、 「いいの。私の気持ちだから。」そう市河さんが噛みついた。 「あら、進藤くんも来たのねっ」 市河さんが、入口に立ったままになっていた進藤を見てあわててそう言った。 「やっと、オレに気づいてくれた。」 進藤は、複雑そうな顔でそう言った。 「ああ、ごめんなさい。さぁ、ふたりとも打つでしょう。カバン、預かるわ。」 僕は何事もなかったかのように、いつもの席に座った。 進藤も、その向かい側に腰掛ける。 「検討から始める?」 僕の言葉に進藤は首を振った。 「いや、打ちたい。」 「わかった。」 それから、進藤との対局は楽しかった。進藤は、予想だにしない手を打ってくる。 多少、カタチが悪くても進藤にかかればそれが強手になる。 それを僕は受けて… 芦原さんも、僕と進藤の対局を面白そうに眺めていた。 「接戦だ。アキラ相手にここまで食い込めるの、低段者では進藤くんだけかもしれないな。」 僕もその通りだと思う。この手ごたえ…。他の低段者の棋士ではまず味わえない。 僕は、進藤と共にこの道をずっと歩いていきたい。心から、そう思う。 「なぁ、アキラ、この後ヒマ?オレが、寿司をおごってやるよ。」 進藤との対局が一通り、終わった後に芦原さんに誘われた。 「あ、でも…」 進藤に誘われていたことを思い出し、僕は進藤の方を見る。 「進藤くんも、良かったら一緒に行かない?」 芦原さんの誘いに進藤は用がある、と言って断っていた。 「じゃあな、塔矢。」 進藤はそれだけ言うと、早々に帰ってしまったのだ。 進藤のあの誘いは何だったんだろう。 よくわからないまま、僕は芦原さんとお寿司屋へ入った。 「しかし、アキラ良かったな。」 一通り、お寿司を食べ終わった後に、芦原さんはしみじみとした口調で僕にそう言った。 「よかったって、何が?」 「自分と同世代のライバルができて。 ほら、アキラつまらなそうだったじゃん。小学生のころなんか特に。」 確かに、そうだ。あのころは、自分と対等の相手に巡り合うことなんてできないと思っていた。 自分が大会に出ると、他の子どもがやる気を無くすから控えるように、と父に言われてしまい 大会にすら出ることができなかった。 自分の相手は、プロ棋士しかいない。そう、思っていたのだ。 だが、あの日。進藤に会ってから、僕の中で何かが変わった。 初めて、追われる側から追う側になったのだ。あれからは、もう必死だった。 進藤に追いつかれないように必死でもがき続けた。そして、今では一緒に検討までする仲になった。 「緒方さんもよく、言うんだよなー。アキラは、進藤くんがいるから強くなったんだって。 オレからしてみればアキラは十分、強いんだけどな。」 ハハ、と芦原さんは笑った。 「その通りなのかもしれない。」 「アキラ?」 「進藤がいなければ、これほど碁が面白いとは思わなかったのかもしれない。」 「なんか、アキラ変わったな。」 芦原さんの言葉に、僕は思わず「何が?」と聞き返してしまった。 「うん、なんか、いい感じだ。」 「それ、どういう意味?」 まぁまぁと、芦原さんは茶化した。 芦原さんと別れて、僕は駅から家の前まで歩く。もうすぐ、12時になろうとしていた。 17歳の誕生日が終ろうとしている。プロになってから、もう4年がたとうとしている。 月日が流れるのは、本当に早いとしみじみ感じた。 家の門をくぐり、玄関まで向かった時のことだった。 「塔矢」 玄関の前に、進藤がしゃがみこんでいた。 ずっと、長い間そこにいたようで進藤の顔は真っ赤だった。 「えっ?進藤っ?!」 僕が驚いて、声をかけると進藤はへへ、と笑った。 「お前、すぐもどってくると思ったんだけどなかなか来ないから待ちくたびれた」 「ここで待つなら、電話くれればよかったのに。そうすれば、すぐ戻ったのに。」 ハックション、と進藤は派手なクシャミをした。このままでは、風邪をひいてしまうだろう。 「とにかく、中へ」 僕は進藤を家の中へ招き入れた。 寒いだろうと思い、僕は進藤に風呂にはいるように進めた。 お客用の浴衣と帯を進藤に渡す。 進藤に浴衣を貸すのはこれが、初めてではない。 進藤は僕の家に何度か泊まりに来ていたが、いつも着替えも何も持ってこないから 貸すのがさも当然のようになっていた。 「初めて見たときも驚いたけど、何度見てもすげぇよな。 こんなの一般家庭に無いよ。お前も浴衣で寝てるんだっけ?」 「いや、僕は着ないよ。お客用だって言っただろ。 父の門下生がよく泊まったりしていったから、用意してあるんだ。」 進藤は、なるほどと感心していた。 「進藤、入るなら早く入ってこい」 僕の言葉に、はーいと慌ててお風呂に入りに行った。 それにしても…僕はハァとため息をひとつ漏らす。 一体、進藤は何の用があって来たんだろう。聞いても、どうせ答えてはくれないだろう。 時計の針は12時をさしていた。 もう、さすがに終電は無くなってしまうだろう。 どうせ、泊まっていくんだろう。 布団でも引いておくか。 そう思い、部屋を見渡すと部屋の中央に進藤のリュックが置きっぱなしになっていることに気が付いた。 だらしが無い進藤は、リュックのチャックを開けっ放しのまま、放置していた。 どかそうと進藤のリュックを持ち上げた瞬間に、ポロッと何かが落ちた。 青色の包み紙に、赤色のリボン。 それはどう見ても、誰かへのプレゼントのようだった。 「塔矢、お風呂ありがとなー。」 お風呂からあがった進藤が、部屋に戻ってきた。 そして、僕が包みを持っているのを見て「あーっ」と大きな声をあげた。 「ちがう、えと、これ…」 進藤は慌てて、僕から包みを取り上げた。 「進藤、それ・・・」 進藤は、黙っていたが観念したのか、無言で包みを僕に手渡した。 「僕に?開けても?」進藤は頷いた。 僕は包みを開いた。白いちいさな箱が出てくる。 それをとると、青いケースが見えた。 パカッと蓋をあけると細長い銀色のネクタイピンが入っていた。 何も装飾品も無く、シンプルなものだ。 しかし、形はウェーブ状に曲がっていてなかなかお洒落だ。 「進藤、これ…。受け取れないよ。 だって、僕は君の誕生日に何もあげていない。」 「いいよ。そんなの気にしなくて。 っていうか、それ市河さんがお前にあげたやつみたいに、高くないし。 買いに行く時間もなくて、よく、駅のとこでやってる出店で買ったんだ…。」 進藤も僕と同じように、対局数が増えてきている。忙しい合間に、買ってくれたのだろう。 僕には、それが嬉しかった。 きっと、市河さんから僕がプレゼントを受け取っているのを見てあげづらくなってしまったのだろう。 「値段なんて関係ないよ。進藤の気持ちが嬉しい。」 僕が素直に、そう感想を漏らすと進藤は少しだけ寂しそうに笑った。 時々、進藤はこんなふうに複雑そうな顔をする。それが、僕には妙に大人びて見えた。 「本当は、あげないつもりだったんだ。でも、なんか諦めきれなくてさ。 せっかく、買ったんだし…とか、いろいろ考えちゃって。 誕生日おめでとう、っていう言葉も一番に言いたかったんだよ。だけど、あかりの奴…。」 ブツブツと進藤は、そう言い訳をした。 「なんか、うまくいかないのな。こういうことって。」 そう言って、進藤はまた寂しそうに笑った。 僕はふと進藤に恋人ができたら、彼はきっとこんなふうに恋人の誕生日を祝い、プレゼントをあげるんだろうなと思った。 たとえば今日、電車の中で会った藤崎さんに…。 その時の進藤は、こんなふうに寂しそうに笑わずに、満面の笑みになるのだろうか。 そうなった時の進藤の姿を想像すると、胸の奥がチクリと傷んだ気がした。 「塔矢?」 黙ってしまった僕を見て、進藤は不思議そうな顔をする。 「いや、僕は恋人でも無いのに受け取ってしまっていいのだろうか、と思ってね。」 僕の言葉に、進藤は焦ったように 「や、ほら、その友達同士でもこういうプレゼント交換とかするさ。お前はそういうの、無かった?」 そう早口でまくしたてた。 「僕にはそういう親しい友人はいないから。 でも、僕が小学生だったころは芦原さんや緒方さんがケーキなんかを買ってきてくれたな。」 僕のその言葉に、進藤はなぜか少しムッとしたように「ふーん」とぶっきらぼうに言った。 「進藤?」 今度は僕が、不思議そうな顔をする番だった。 何か、進藤の機嫌を損ねるようなことを言った覚えはない。 「芦原さんと、仲、いいんだな。」 「仲がいいって、まぁ…。小さいころから知っているし。 父の門下生の中では一番よく話すし、よく一緒に碁を打つかもしれない。」 「でも、オレだってお前とよく碁を打つだろ?」 進藤の言葉に、僕は戸惑う。 「それは、まぁ、そうだけど…」 「じゃあ、オレだってお前と仲が良い訳だろ。」 ぐいと、進藤は身を乗り出してくる。 進藤の言葉の意図が見えない。何だろう。やけに噛みついてくるのは何でなんだろう。 「塔矢、どうなんだよ」 進藤にそう、迫られて僕は俯いてしまった。 確かに、そうだ。進藤と僕は最近、よく一緒に打つようになった。 だが、仲がいいのかと聞かれたら僕は何と言っていいのかわからない。 「進藤が、そう思うのなら、仲がいいということじゃないのか。」 僕のその答えにハハ、と進藤は笑った。 そして、気が抜けたように畳の上に座り込む。 「っしかし、寒いなー。」 「もう、12月だからね。布団を出そうか、進藤、手伝え。」 「ああ」 そう言って、進藤は立ち上がった。 僕は押入れから、布団を一組、取り出し進藤に手渡した。 進藤は、ひいたばかりの布団の上に仰向けに寝ころんだ。 「塔矢って、こんなに寒い季節に生まれたんだな。」 唐突に、そうつぶやいた。 「なんか、お前って冬が似合う気がする。」 「どういう意味だ?」 「誰も寄せ付けない。そんな、雰囲気?なんか雪みたいだ、塔矢って。」 「雪?そんなこと、初めて言われた。」 「あ、でも、そんなこと無いか。碁のことになるとお前は熱くなるもんなあ。 溶けちゃうか、雪が。」 進藤は、いつにも増してよく話すようだ。 進藤と碁以外の話題で、会話をするのは珍しい。 僕は、進藤の話す会話の意図がつかめなくて戸惑ってしまう。 「進藤、僕もお風呂に入ってくる。」 僕の言葉に進藤は何も答えなかった。 お風呂で湯船につかりながら、進藤の言っていた言葉の意味を考える。 雪…。 誰も寄せ付けない、か。 確かに今の自分は、上しか見ていない。この姿勢を批判されることもある。 だが、早くトップまで駆け上がりたいという強い気持ちがあるからこそ、自分は頑張れる。 そして、いつか…。父ですらまだ打てていない、神の一手を打ちたいのだ。 進藤、君もそういう目標があるのではないのか。 だからこそ、碁から離れても、また戻ってきたのではないのか。 いつか、進藤とそういう話ができたら、と思う。 そして、いつかsaiの秘密を話してくれるかもしれない。 僕はずっと、それを待っている。 僕がお風呂から上がると、進藤は眠ってしまったようだった。 あきれたことに、掛布団の上で寝ている。 これでは、風邪をひいてしまうだろう。 「進藤、起きろ。」 僕は進藤の体をゆらして、起こそうとした。だが、一向に起きない。 仕方ない、もう一枚掛布団を持ってこようかと その場を立ち去ろうとした瞬間に、どこからか伸びてきた進藤の手に腕を掴まれて 僕は動けなくなってしまった。 「進藤、起きているなら、起きていると言え」 僕の声に、進藤はへらへらと笑った。 「さっきさ、お前のこと雪みたいって言ったけど、撤回するわ。 なんか、あったかいな…。いい匂いするし…。」 進藤は、起き上がると僕の体を後ろから抱きすくめた。 これが初めてだったら、僕も驚いて進藤の手を振りほどいただろう。 だが、進藤のこのふざけた戯れは今日が初めてではない。 特に対局に負けた日や、大事な一戦が待ち構えている前日などに 落ち着くから、と言ってこんなふうに僕のことを抱きしめたりするのだ。 最初は、やはり驚いて、無理に振りほどこうとしていたが そうすればそうするほど、進藤の手は強く絡み付くことを僕は経験から知っていた。 仕方なく、というよりも抵抗するのも面倒くさいので、僕はされるがままになっていた。 ひと肌が恋しいという、進藤の気持ちがわからないでもない。 特にこんな寒い夜は、なおさらだ。 そういえば、芦原さんも酔うとよく僕に絡んでくる。 僕には、親しい友人がいないからどのように付き合えばいいのかわからない。 こういう進藤との付き合い方が正しいのかどうかも、よくわからない。 だが、進藤がそれで満足なら僕は構わなかった。 「なぁ、塔矢。おれはお前に近づけているだろうか。」 耳元で話されているからだろうか、進藤の声がやけに近く聞こえる。 「近づいている?どういう意味だ?」 「んー何でもない。」 聞いといて、それは無いだろうと思うのだが… 「それより、塔矢、こっち向いて。」 「なぜだ?」 「いいから、いいから」 無理に体を反転させられて、僕は驚いてしまった。思ったよりも目の前に進藤の顔がある。 さすがに、これは友達同士の話す距離感ではないだろう。 「進藤・・・?」 僕が慌てて、進藤にそう告げたが、進藤は何も言わない。 「離…」 進藤の顔が近づいてくる、と思った瞬間にガラッと玄関の戸が開く音が響いた。 思わず僕も進藤も驚いて、慌てて体を離した。 「アキラさん、いるんでしょう?」 遠くから、母の声が聞こえてくる。僕も進藤も、お互いの顔を見つめあったまま動けずにいた。 「あら、この部屋にいたのね。驚いたでしょう。明日の夜、帰ってくるはずだったんだけど 今日の飛行機の時間に間に合ってしまったから。帰ってきちゃったのよ。」 母は、そう明るく言った。 「あら、進藤くんもいらっしゃったのね。対局でもなさってたの?」 「う、うん。」 母の言葉に僕は、慌てて頷いた。 「やっぱりあなたもお父さんも、碁ばっかりね。」 母はため息まじりにそう、つぶやいた。 どうやら、父も母と一緒に帰国したらしいのだが空港で偶然棋士の先生にお会いしたらしく 碁を打ちにその先生の家に泊まりに行ってしまったらしい。 「そうだ、アキラさん、今日、誕生日でしょう。ケーキを買ってきたのよ。 進藤くんも良かったら食べて。」 母がケーキを取りに台所へ行ってしまうと 進藤は、ご、め、んと言葉を発さずに口の動きだけで僕に謝った。 「進藤!」 僕が睨みつけながら、進藤の名前を呼ぶ。 「さーて、お前のお母さんが言うように碁でも打つか。」 進藤はごまかすように、そう言うので僕はますます不機嫌になった。 だが、きっと僕の不機嫌は進藤と碁を打っている間に治ってしまうだろう。 君の一手をどう受けて、どう返そうか。 今、考えるだけでもワクワクしてしまう、僕がいた。おわり
* あとがき * いかがだったでしょうか。 こんなヘボ小説を、塔矢アキラ誕生祭9という素晴らしい祭典に、畏れ多くも出展させていただいてしまいました。 無駄に、文量が多くなってしまいすみませんでした; でも、書いていてすっごく楽しかったです。ヒカルはアキラくんに対して嫉妬心持ちまくりだし そもそも、抱きしめたり行動を起こしてるのにそれでも気づかないアキラくんというものを描きたくて… というか、いいところで明子さんがでてきてしまったぁという展開で無理に終わらせちゃいました。 もっと、ラブラブイチャイチャな二人が書きたいのに。うー。 それでも、読んでくださって本当にありがとうございます。 読んでくださった、あなたのために書いたようなものです。本当に、ありがとうございましたm(_ _)m 塔矢アキラ誕生祭9の企画者、TADAさま。企画&運営、お疲れ様です。 ありがとうございました。 2010.12.14 0:00 よろしければ感想など、お聞かせくださいませw WEB拍手
aya 著 / 掲載サイト:【Moment】