1st-day,sunday

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  1st-day,sunday  


ピンポーン。ピンポーン。
何回も、部屋のチャイムが鳴っている。

俺は、ふぁぁあああと欠伸をかみ殺した。
今、何時だろう。
側に置いてあった携帯を取り、時間を確認する。

時間は、午前8時をさしていた。昨日と今日は久々のオフだ。
だから俺も、ハメを外したくなり、昨日の夜は和谷や小宮たち、仲のいい棋士や院生たちで一晩、飲み明かしたのだ。
どうやって、帰って来たのか覚えていない。ところどころ、記憶が飛んでいる。

上半身、裸なところを見るとシャワーも浴びずに、シャツだけ脱いで寝てしまったらしい。
俺が酔っぱらって、訳もわからず朝を迎える事はしょっちゅうだった。
20歳になる前から結構、酒も煙草も嗜んでいた俺は20歳を超えてからは更にその頻度があがった。

昨日もなじみの居酒屋で散々、飲んだ。
もう、半分以上、記憶が無いが確か、小宮にさんざん飲まされた気がする。
ったく小宮の奴、自分は飲まない癖に人に勧めるのうまいんだよな…
その後、どうしたんだっけ?
なんか、クラブに行きたいとか誰かが言い出して…
頭、いてぇな。その辺のことをよく覚えていない。

またまた、ピンポーンとチャイムの音が鳴った。
ったく、こんな朝っぱらから誰だよ。
思いつくのは、和谷か、小宮か…まぁそのあたりだろうな。
俺が、払い忘れた飲み代でも回収しにきたのだろうか。
はいはい、と俺はガチャッと玄関のドアを開けた。
「和谷か?昨日、どうや―」
どうやって、帰ってきたんだっけ?と言おうとして俺は絶句した。
目の前に表れたのは、いつも見慣れている棋士仲間の和谷では無かったからだ。

和谷はいまどきの若者のように、細い。いい体をしているな、と思うし実際にモテるらしい。
だが、今、目の前に現れたのはそんな和谷よりもはるかに細い体の持ち主だった。
黒のベストに、薄いピンクのシャツ。そして、ベージュのズボン。
いかにも、お坊ちゃまといった清楚な服装だ。
こんな服装をする俺の知り合いは、一人しか思いつかない。
案の定、目の前にいたのは塔矢アキラその人だった。

俺と塔矢は、お互い驚いたように見つめあった。
俺は、塔矢が突然、戸口に現れたことに。
塔矢はきっと俺が上半身、裸なことに驚いたのだろう。
怪訝そうな顔で、目線が上下に動いていた。

しばらく、見つめあった後に
「「え、あ」」
と、声まで重なってしまう。気まずい沈黙が続く。
それを破ったのは塔矢だった。
「すまない、進藤…お取込み中だったようだな。」
塔矢はそう、言って、踵を返して帰ろうとする。
「ちょっ、おいお取込み中って…」
俺は慌てて、塔矢を呼び止めるために外に出た。
「え、ってか…」
俺は、塔矢がでかいキャスターつきのスーツケースをひいている姿が目にはいり驚いてしまった。
塔矢が動くたびにガラガラと大きな音を立てる。
「なぁ、お前、それなんなんだ?」
俺がスーツケースを指さすと、いや、と塔矢は困った顔をした。
いつも、毅然としている塔矢がこんな顔をするなんて珍しい。
家に来たということは何か、俺に急用があったのだろう。
じゃなければ、塔矢はアポなしで人の家を訪れるような非常識な奴ではない。
「とりあえず、入る?」
俺の言葉に、塔矢はしぶしぶ頷いた。


「女が中にいると思ったって?」
塔矢に思いがけないことを言われて、俺は聞き返してしまった。
「君は裸だし、それに、ここ」
塔矢が、指で自分の右頬を指さした。
「ここ?」
俺も自分の右頬に手を置いた。特に何があるわけでもない。
「鏡で見てみろ」
塔矢の言葉に、俺は洗面所に行く。
「げっ!」
思わず、叫び声をあげてしまった。
俺の右頬に、ばっちりと口紅の跡がついていたからだ。
こんな、ハッキリ…。
おそらく、原因は昨日の夜に行ったクラブだろう。
そういや、誰かがナンパしたいとか言ってたような…。それに巻き込まれたな…。
でも、自分がお持ち帰りをしていないところを見ると、好みの女性はいなかったようだ。
我ながら、自分のことなのに記憶が曖昧なのが情けない。
とにかく、この跡を消さないと…みっともない。俺は顔を慌てて洗った。

鏡で確認すると、何とか落とすことができたようだ。
今時の女の人が使う口紅は、なかなかよくできていて、ウォータープルーフだか
なんだか、よく知らないがとにかく落ちないものは本当に落ちない。
とくに、ワイシャツなんかにつけられると全然落ちない。
前につけられたことがあり、落とすのに苦労したものだ。

「いやぁ、参った。昨日、行ったお店でつけられたんだ」
俺がそう言いながらタオルを片手に、塔矢の元に戻ると
「どういうお店に行っているんだ?」と塔矢が怪訝そうな顔をした。
「まぁまぁ、俺の話は置いといて…お前、一体、どうしたんだよ?」
俺の言葉に、塔矢はまた黙り込んでしまった。

本当にこんな塔矢は珍しい。
俺は、佐為が消えてから5年間。コイツと一緒に碁を打ち続けてきた。
一緒にといっても、ライバルはライバル。勝ち負けを繰り返し、今ではコイツとの差は5分5分とまで言われるくらい
強くなることができた。
だが、去年、本因坊のタイトルを取り、あっという間に9段に昇段し、トップ棋士の仲間入りを果たした塔矢には
まだ一歩及ばない。
俺は、やっと2度目の本因坊リーグ入りを果たしたところだった。
惜しくも、塔矢に敗れたのが去年の今頃。そんで、コイツはその年の挑戦者に選ばれて
あっさりと緒方さんからタイトルを奪ってしまったのだ。

最近は塔矢と打つ時間が減ってしまっていたのも事実だ。

俺も最近は対局数も増え、多忙は多忙だ。だが塔矢ほどは忙しくは無い。
(飲みにいったりと、遊ぶ時間はあるわけだし…)
塔矢は9段に昇段したことで出場することができる棋戦の数が増え、更に国際棋戦からもひっぱりだこだった。
俺自身、そんな多忙な塔矢の姿を横目で見ていることに耐えられなかった。
そのせいか、塔矢の碁会所に足が向かなくなり、どんどん塔矢と離れていった。
塔矢は、そんな俺に不満を隠しきれないようだった。
何度も、対局しないかと誘われた。俺だって、打てるものなら塔矢と打ちたい。
対局を断った時の塔矢に残念そうな顔をさせるのも、心苦しかった。

だけど…塔矢の背中を追い続けるなんてまっぴらごめんだ。
追い越してやりたい。俺の実力が塔矢に及ぶまで。
ただ、仲良く一緒に肩を並べて、碁のお勉強…なんてまっぴらゴメンだ。
俺のプライドが許さなかった。
だから、次に塔矢とプライベートで打つのは俺がタイトルを奪取した時だ、なんて
勝手に期限を決めていた。
そのことで、文句でも言いに来たのだろうか。塔矢ならありうるな。
でも、なんでスーツケース?

「なぁ、なんの用だよ?」
俺は塔矢に答えを急かした。塔矢はしばらく言おうか言わまいか逡巡しているようだったが
決心したのだろう。
「進藤」真剣な表情で、俺の方を向いた。
「単刀直入に言う。僕を1週間、ここに置いてくれないか?」
真顔で、そう言い切った塔矢の言葉が信じられなくて俺は耳を疑った。
「は、はい?なんで、また?」
「お父さんが、帰ってきてるんだ。」
「え?」
父親が帰ってきているから?それが、家を出る理由…。
たとえば、これが塔矢じゃなくて和谷ならば納得できる。
「最近、親がうるさくって」とため息まじりに漏らしているし、今はもう一人暮しを始めているが
始める前も、出たい出たいと大騒ぎをしていた。
でも、塔矢がなぜ?
俺は塔矢先生に反抗している塔矢の姿がイマイチ、想像できなかった。
いやいや、しないだろ。

「塔矢、俺だって親がうるさくてたまらない時もあるさ。
でも、ウチの親はさ、碁打ちじゃないからこの仕事のことなんもわかってないからなんだよ。
俺が家を出てからは大分、マシになったけど…。でも、お前ん家は最高じゃん。
塔矢先生と打つだけで勉強になるし…」
俺の言葉に、塔矢はため息を吐いた。
「だからなんだ。」
塔矢の言葉に俺は目をパチクリさせる。
「だからって?」
「お父さんの存在に、自分がつぶされてしまう気がして嫌なんだ。」
塔矢は、そうキッパリ言いきった。
「お父さん、明日、中国の棋士を連れてウチに帰ってくるんだ。
引退されている棋士ばかりだけど、まだまだ実力のある方ばかりだ。
なんだか、その環境にいたくなくて…」
「それ、めちゃくちゃいい勉強になるじゃんか。」
俺の言葉に、塔矢は複雑そえな顔をする。
「たとえ、そうだとしても、僕の力で手に入れることができたわけじゃない。父の力だ。」
なるほどね…。俺も塔矢の気持ちがよくわかる。俺自身、佐為の事で注目される事が苦痛だった。
自分の実力ではなく、他人の力に頼ることが、どれほど歯痒く、心苦しいか…塔矢もそんな複雑な思いがあるのだろう。
「わかった。好きなだけ、いろよ」
「いいのか?」
「ああ。部屋は狭いけど、2人住めない訳じゃないしな。 」
俺の言葉に塔矢はホッとしたようだった。
「光熱費と食費、家賃など払うから言ってくれ」
なんとも、真面目な塔矢らしい。
「いいよ、そんなの。計算、めんどくせーし。」
「でも…食費ぐらい、払わせてくれ。」
 相変わらず律儀な奴だなあ。
「じゃあ、食事当番とか決めようぜ。交代にしてさ。」
俺の言葉に塔矢は納得してくれた。 
だが、自分でそう言い出したはいいが、俺はロクに料理をしたことがない。
「お前、いつも何食うんだ?」
「何って、普通だよ。」
「インスタントとか平気?」
「何でも構わないよ。世話になるのだからワガママは言えない。」
俺はホッとした。
いつも、ジャンクフードばかり口にしている。いきなり、料理しろと言われてもできない。

「進藤、どうでもいいが何か着てくれないか?」
塔矢の言葉に、自分がまだ裸だったことを思い出した。
「やべぇ、忘れてた。」
俺は慌てて、クローゼットから適当なシャツを取り出した。
「相手を確認もせずに、裸で出るのは良くないと思うが…」
「知り合いだと思ったんだよ。いくら、俺でもそこまで非常識じゃねーよ。」
どうだか、という顔を塔矢はする。

シャツを着てソファに座り直すと俺は無意識に、テーブルの上に置いてあった、煙草に火をつけた。
ふぅと一息ついてから、塔矢がいたことを思い出した。
いつも家で日常的に吸っているから、ついつい自然の動作でそうしてしまったのだ。
「わりぃ。いつもの癖で…」
塔矢の前で吸うのは初めてだった。

俺が、慌てて煙草を消そうとすると
「いや、そのままでいい。」
塔矢が、そう言って立ち上がった。ガラッと窓を開ける。
ここは俺の家だから、面と向かって吸わないでほしいとは言えないのだろう。
だから、行動で示したのだろうか。塔矢らしいというか、何というか。
「いいよ、ベランダで吸うよ。」
俺は苦笑いして、灰皿を片手にベランダに移動した。

空がやけに眩しかった。もうすぐ、6月になろうとしていた。
まだ、梅雨入りしていないので湿気も無く、カラッとしたいい天気だ。

俺がベランダから戻ると「君は優しいね」塔矢が珍しく、俺を褒めるもんだから
驚いて危うく灰皿の中身をぶちまけるところだった。
「優しい?俺が?」
「僕だったら、自分の家に誰かが来たとしたら、きちんとルールに従ってもらう。
もしも僕が喫煙者だとしたら、来客者が嫌だろうと我慢してもらう。
自分のペースを乱されるのが嫌だからね」
塔矢の言葉に、俺は笑ってしまった。
「お前らしいな。俺、別にそういうの気にしねぇもん。」
佐為がいたころなんて、自分のペース乱されまくりだったしな。
それに慣れてしまったためか、何だかずっと一人でいる方が落ち着かない。

それにしても、俺は昨日の疲れがドッと押し寄せてくるのを感じた。
若干、二日酔い気味だ。頭が重い。寝不足も原因だろう。

「塔矢、俺、もう一眠りしようと思うけど、お前どうする?」
俺が欠伸混じりに言うと
「そうだな…市河さんの碁会所に顔を出すとするよ。
最近、僕もなかなか行けていなかったから。また、当分行けなくなるかもしれないし。」
「わかった。じゃ、これ。」
俺は塔矢に、鍵を差し出した。
「俺、一度寝たら、なかなか起きないから。好きな時に帰ってくるといいよ。」
「ああ、悪い。」塔矢はそう言って、鍵を受け取る。
「あ、そうだ。お前、どこで寝る?和室があるけどそこ、お前の部屋にするか?」
俺の住むマンションは2LDKの賃貸マンションだ。
俺と塔矢がさっきまでいたリビングにプラスして寝室、和室とあと、二部屋ある。
和室には碁盤と碁石のみ、置くようにして家具などは一切、置いていない。
だが、塔矢を和室に案内するために襖をあけてから俺は後悔した。
畳一面に棋譜が散らばったままだったからだ。
しかも、碁盤の上には緒方さんと倉田さんの名人戦の棋譜を並べてそのままだった。

だが、塔矢は怪訝な顔をせずに
「ここで、君はいつも碁の勉強を?」感心したように、そうつぶやいた。
改めて確認されると、少々照れくさい。
そう、集中できるようにとわざわざ和室があるマンションを探して、借りたのだ。
「まぁな。棋譜が散らばってて、汚く見えるな。
でも、勉強以外では使ってない部屋だから、綺麗だぜ。」
「いや、遠慮しておくよ。
ここは、君の勉強部屋だ。きっと生活感を出したくないがために、何も置かないんだろう。」
「まぁ、そういっちゃ、そうだけど…でも、俺、そういうの気にしないぜ。」
「いや、僕は気にする。」
ったく…頑固なんだから。
「じゃあ、お前どこで寝る?俺と同じ寝室じゃ、嫌だろ?」
塔矢は泊まりのイベントなどでも、相室を好まない。
北斗杯前に、社と三人で合宿をした時も塔矢だけは別の部屋で眠っていた。
人の気配があるところでは、なかなか寝付けないんだ。いつか、そう漏らしていた気がする。
だが、塔矢は首を振った。
「君が嫌じゃなければ、構わない。さっきも言ったが、世話になる身だ。
ワガママは言えないよ。極力、君の生活のペースを乱さないように努力する。」
だから、俺、そういうの気にしないって…そう心の中で叫んだが口には出さなかった。
塔矢は、自分がこうだと思ったら、納得する回答が得られるまで絶対に曲げない。
塔矢を論理的に説き伏せて、俺に従わせるのが面倒だった。
塔矢の好きにすればいい。オレは別に何でも構わないんだから。
「じゃあ、この部屋は碁の勉強するときに使えよ。」
「わかった。それだけはお言葉に甘えさせていただくよ。」

「「じゃあ、また後で。」」

そういって、俺と塔矢は各々の休日の午後を過ごした。






キッチンからガタッという音が聞こえて、俺は目がさめた。
一瞬、泥棒かと思い、慌てて起き上がる。俺の部屋に置かれたスーツケースを見て
塔矢が来ていたことを思い出した。
塔矢のバカでかいスーツケースをどこに置いておくか、悩んだのだが
リビングより、この部屋に置いておいた方がいいかもしれない、と運んでおいたのだ。
時計を見ると、午後6時を回っていた。
勝手に入っていいと言っておいたから、帰ってきたのだろう。

俺は、んーと伸びをしながらベッドから起き上がった。
頭が大分、スッキリしている。それに、ぐぅうとお腹が鳴る。
朝は何も食べる気がしなかったが、眠ったせいだろう。空腹感で少し気持ち悪い。

ガチャッとリビングに続く扉を開けると、いい匂いが鼻につく。
これは、みそ汁の匂いだ。それに、焼き魚?
それに、トントンと小刻みに包丁の音がする。
この音を聞くのは久しぶりのような気がした。よく母親がこの音をさせて料理を作っていたことを思い出す。
実家を出てから3年ちょっとしかたっていないが、もうずいぶんと実家に帰っていないような気になる。

「塔矢、何作ってんだ?」

俺が声をかけると、塔矢は驚いた顔をしたが「ふつうに夕飯だよ。」と答えた。
塔矢にしてみれば、ふつうかもしれないが俺からしたらふつうじゃない。
こんな、家庭的な料理を見るのはえらく久しぶりな気がする。
「お前、料理できんだな。」
俺が感心したようにつぶやくと、塔矢は苦笑いする。
「君の家、みりんもみそもお酢も無いので驚いたよ。
慌てて、さっき買いに行ってきたんだ。スーパーなんて行ったの初めてだよ。」
「初めて?俺もコンビニばっかでそんなに行かないけどさ…お前、食材とか、いつもどこで買うんだよ?」
「うちは、頼めばデパートの人が届けてくれるんだ。
進藤、そっちの鍋の火、弱めてくれないか。」
塔矢の指示に従いながら、やっぱりコイツん家って金持ち…としみじみ思った。

俺は中学生のころ、何の躊躇も無しにタクシーに乗る塔矢を見て価値観の違いにショックを受けた。
何しろ、中学校の制服のままタクシーに堂々と乗れるんだから、すごいと思う。


塔矢が作ってくれた夕飯は、いつもコンビニ弁当やお惣菜ばかりの俺からすればごちそうと言っても
いいくらいだった。味付けも、濃すぎず薄すぎず、ちょうどいい。
お前、いい嫁さんになれるよ、そう俺がからかうと塔矢はムッとしたように
「君も少しは、料理を覚えろよ」と言われてしまった。
夕飯を食べ終えて、後片付けをしたあと塔矢にこの後どうするのか尋ねた。
塔矢は碁の勉強をする、と言うので俺は和室を使うように勧めた。

リビングに一人残された、俺はソファに腰掛けながらテレビを見ていた。
そこまで面白い訳では無いが、つまらなくもないテレビ番組をボーと見ながら俺は煙草に火を点けた。
夕飯を食ってすぐに、勉強する気になんてならない。
もちろん、全く勉強しないという訳にはいかない。それで飯を食わしてもらってるんだから。
だが、こうやってテレビを見たり、飽きるまで睡眠をとったり、友人と遊んだり…どれも俺には必要な息抜きだ。
塔矢は、そういう事をしないのだろうか。

その時、携帯が大音量で鳴り響いた。この着信音は、電話だ。誰からだろう。
俺が携帯をとると、ディスプレイに知らない番号が表示される。誰だっけ?
まぁ、いいかと受話器に耳をあてる。

すると、ガヤガヤと喧騒が聞こえてくる。
『進藤くん。あたしだよ』
可愛らしい女の子の声が受話器から、聞こえてきて俺は驚いてしまった。
「え、誰だっけ?」
思わず聞いてしまった。途端に相手がムッとするのがわかった。
「もう、昨日、話したばかりじゃない。」
その言葉に、昨日の事を思い出す。たしか、クラブで飲んでいるときに棋士仲間の誰かが隣で飲んでいた
女の子グループに声をかけたんだ。それで一緒に呑むことになって…。
20歳の女の子達で、相手が社会人ということもあって意気投合した気がする。
そんで、確かマミとかいう女の子と仲良くなって。
胸も大きいし、コイツ、抱いたら気持ちよさそうだなとか思ったんだ、俺。
きっと酔った勢いも手伝って、携帯番号を教えたんだな。相手の番号を聞かないところがなんとも俺らしい。
「まぁ、許してあげる。それで今日の夜、進藤くんの家に行っていいんでしょ?」
マミの言葉に俺は、焦った。
「ちょ、え、今日?」
「うん。だって、進藤くん、今日、行っていいって言ったよ。」
俺はバカだ、そんなこと言っといて覚えてないなんて。
「ごめん、今日は無理なんだ。ちょっと、仕事で…。」
「今日、日曜日でしょう。和谷くんが対局ないって教えてくれたわよ。」
マミはそう、口をとがらせる。和谷のやつ、余計なこと言いやがって…。
自分が一番悪いのに、俺は和谷をうらんだ。
「勉強だよ、勉強。今、家で棋士たちを呼んで勉強会を開いてるんだ。
だから、また今度。ごめんな。」
俺はそう言って、むりやり電話を切った。
なんとか、断れて俺はホッと胸をなで下ろした。

切れた携帯を片手に、俺はソファに倒れこんだ。
自分はロクな恋愛をしていないとしみじみ思う。

『進藤くんって、私に興味無いでしょ。つまんないのよ、一緒にいても。誰かの代わりみたい。』
ほんの3ヶ月付き合った彼女にそう言い放たれてフラれた。

自分ではそんなつもりは無かった。
だが、碁の勉強の時間は削れないし、対局で予定が埋まっていた。
対局前に会おうと言われるのが嫌で、適当な嘘をついて断ったりもした。
出会い方も、ナンパで大きな声で言えるような出会い方では無かった。
それでも、別に誰かの代わりで付き合った訳では無いのだが…。
どこかで、彼女に壁を作っていたのだろう。それを見抜かれてしまったようだ。


俺はふと、中学生のころの自分を思い出した。

あのころの俺は佐為と共にあった。
佐為がいたから、プロ試験という厳しい戦いも乗り越えられた。正直、あのギリギリの精神状態で彼がいなかったら
耐えられたかどうか自信がない。
お礼も何にもできなかった。ありがとうもさよならも何も言えないまま、アイツは消えてしまったのだ。
それが心残りで、ならない。佐為が消えてから、どうにも拭えない消失感のようなものが、俺の心を渦巻いている。
五年という年月が、だいぶ癒やしてくれはしたけど・・・未だにずっと引きずっている。
絶対に結ばれない相手に、片思いしているようだ。

やっぱり、佐為のせいなのだろうか。俺が誰かと付き合っても、長続きしないのは…。

前に和谷にからかわれたことがある。お前って理想が高いよな。と・・・
そして、俺が好きになるタイプは、決まって黒髪で肌が白い、清楚な美人だと言うのだ。
確かに、前に付き合った彼女もそういうタイプだった。心のどこかで、佐為を追い求めているのだろうか。
一緒に居すぎて気づかなかったし、そういう気もおきなかったが、佐為はすごく綺麗だと思う。
幽霊だからなのかもしれないが、佐為を見ていると、どうしても現実の女の子に魅力を感じることができないのだ。

佐為の代わりなんていないのだから。
いい加減、俺も吹っ切らないと…。
そうしなければ、きっと俺は誰と付き合っても変わることができないだろう。






「進藤、ちょっといいか」
突然、声をかけられて俺はハッとした。顔をあげると塔矢が、ソファの横に立っていた。
どうやら、俺はそのまま眠ってしまったようだ。
「うん、大丈夫。何?」
寝起きだから、声がかすれてしまう。
「シャワーを浴びたいんだが、勝手に借りてもいいだろうか。」
「ああ、もちろん。バスタオルとか、洗面所の棚に置いてあるから
適当に使って。」
塔矢に、お風呂場の場所を教えた。
塔矢が出た後に、交代で俺が入り、髪の毛をふきながらリビングに戻ると
塔矢がソファの上でじっと座っていた。
テレビでも見ているのかと思ったが、画面は真っ暗のままだった。
「塔矢?」
俺が不思議そうに尋ねながら隣のソファに腰掛けた。塔矢はため息をひとつはく。
「君は理由を言ってくれないんだな。」
いつになく真剣な表情だ。
塔矢と長年付き合ってきたせいか、俺はコイツの表情がよめるようになっていた。
今日は、ちょっと機嫌が悪そうだとか、今日の塔矢は調子がよさそうだとか、そういうのが何となくわかる。
塔矢はポーカーフェイスで、いつも表情を変えないような印象を周囲にもたれているがそんなことは無いと思う。
同様に、真剣な表情を塔矢がするときは怒っている時だ。
まぁ、怒っているときに、ふざけた顔をしている奴なんかいないか…。
「何がだよ?」
俺は塔矢にそう聞き返した。
全く見当がつかない。何か、塔矢を怒らせるようなことをしただろうか。
「僕の碁会所に来ないじゃないか。」
「え、碁会所?」
「もう9ヵ月以上、君と打っていない。」
塔矢の言葉に、俺は肩がずるっと落ちた。思わず、笑ってしまう。
「進藤」
塔矢がムッとしたように、俺の名前を呼ぶ。
「そもそも、お前が忙しいのが悪いんじゃん。俺はお前みたいに、忙しくないからさ」
多少のひがみも込めて、そう言ってやる。
すると、塔矢はなおさら気分を害したようだ。無言でにらみつけてくる。
ったく、おっかねーな。
「打つか?久しぶりに…」
俺の提案に、塔矢は何も答えない。相当、機嫌が悪いようだ。

それでも、碁盤と碁石がある和室に塔矢を促すと、無言でついてきてくれた。
どうやら、打ってくれる意思はあるらしい。
「別に打ちたくなかった訳じゃないさ。ただ、お前の碁会所だと打ちにくくてさ。」
俺は、そういいながら碁盤を挟んだ塔矢の向かい側に座った。
塔矢は目をパチクリさせる。理由がわからないようだ。
「お前と比べられるじゃん。どうしたって、タイトルホルダーとただの棋士って
目で見られるし…。」
「それだけの理由で、僕との対局を拒否し続けたのか?」
塔矢の口調が早くなる。機嫌が悪くなった時の塔矢の癖だ。
「それだけじゃねーよ。俺もいろいろ、あんだよ。」
塔矢は大げさにため息を吐いた。どこか、恨みがましい目で睨まれる。
「君は自分勝手だ。」
「今から、打つんだからいいだろ。」
俺が諭すように言うと、塔矢はまたハァとため息を吐いた。
呆れてモノが言えない、と言った感じだ。
ったく、なんでコイツは碁のことになるとこんなにまっすぐなんだか。
『ヒカル、打ちましょう』
かつて、自分に対局をせがんできた奴の顔が頭に浮かぶ。似てるんだよな。アイツに…。
「進藤?」
俺が碁筒を持ったまま、動かないのを訝しげに思ったのか
塔矢が、不思議そうな顔をする。
「いや、何でもない。打とう、打とう。俺が握るよ。」
そういって、俺は冷たい碁石を握った。





「ありません」
そうつぶやいたのは、塔矢の方だった。
「よっしゃ。」
俺が素直に感想を漏らすと、塔矢はギロリと俺を睨みつけた。
突然、射抜かれたように俺は背筋が寒くなる。塔矢の眼力は半端じゃない。
特に対局中の塔矢はすごく、おっかない。
でも碁が絡まないと、とたんに物腰が柔らかくなっちまうんだから不思議だよなぁ…。
「君のこの一手、見事だった。」
塔矢が静かに、検討をはじめる。
「こんな碁が打てるのに…なぜ、君は肝心なところで勝てないんだ?」
図星をつかれて、俺は顔がひきつった。
『お前と塔矢の差は、そこなんだよ。勝負強さ。それが、今のお前には無い。
絶対に勝ちたいっていう強い思いが無いとさ、いつまでたっても、塔矢には追いつけないよ。』
倉田さんに言われた言葉が、俺の頭をよぎる。
去年の本因坊戦で、塔矢に大敗した時にそう言い放たれたんだ。
あの年の若獅子戦で塔矢に勝って、優勝したあとだったから余計にくやしかった。
何か、言い返してやりたかったが、今の俺では何を言っても負け犬の遠吠えになるだろう。
こんなプライベートの対局でいくら塔矢に勝ったとしても、公式戦で当たった時に勝てなければ意味が無い。
「今度の本因坊リーグ戦、相手は倉田さんだろ?」
塔矢の言葉に、俺は無言でうなずく。
「必ず、勝つんだろうな?」
塔矢の言葉に、俺は「もちろん」と強気で答えた。

つづく

aya 著 / 掲載サイト:【Moment

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