Believe 失うぐらいなら

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僕、塔矢アキラは、碁盤を前に座り棋譜を見ながら、石を順に並べていった。

天元戦、三次予選決勝の棋譜だ。黒が進藤。白が僕である。
僕は、並べ終えた後に、打たれた黒の一手を見つめる。
一見、形の悪い手に見える。普通ならば、白がハネたならば黒はすぐにオサエる。
これが、現在良いとされている石の形である。だが…進藤はハネた。そして、この一手が後に好手と化けた。
この一手で、勝負の行方が別れたのだ。
結果は、僕の半目負けだった。半目しか差が開かなかったものの、見事に完敗だった。
僕自身、打っていてもっと差が開くかと思ったくらいだ。
進藤は北斗杯以降、確実に実力が上がってきている。
進藤と他のプロの対局を見ていても、それはハッキリとわかる。
前から、進藤の実力は自分と互角だった。それはわかっていた。
だが、まだまだ自分の持つ勝負強さに進藤は届いていなかった。
進藤の打ち筋は練達なもののどこか甘く、勝負の最中にフッと手が緩む。
それが決め手となり彼が、優位に進んでいたはずの碁がひっくり返されてしまう。
または序盤でうまい手が打てず、中盤当たりで互角になるも序盤での差が響いて負けてしまう。
進藤も相当の実力をもっているが、勝負の局面では僕の方が上。
倉田さんもそう認めてくれたし、僕自身そうだとばかり思っていた。
だが…最近の進藤の対局を見ていると、甘さが無い。序盤での布石も完璧、中盤での石の形も良く、ヨセも完璧だ。
低段者がことごとく進藤に大敗していることからも、並の相手では進藤に勝てないという事がわかる。
だが、自分も負けていられない。今回は敗れてしまったが、この次はどうなるかわからない。
彼の成長は自分も望むところだし、むしろ成長してくれなければ困る。
進藤が強くなったとしたら、僕も強くなれる。そんな気がするのだ。
だから、一局でも多く進藤と打ちたい。僕はそう思うのだが…。
どうにも、進藤自身は僕とそんなに打ちたがっているように見えないのだ。
進藤はいつも気まぐれに僕を振り回す。
碁会所に来たり、来なかったり。
打てたと思えば、集中していなかったり。何かを考えていたり。

千葉のホテルで行われた、囲碁ゼミナールの時も。
他人と相部屋になることは好きではないが、進藤と同じ部屋になればいつでも碁が打てる。
そう思い、何とか指導碁を切り上げて、部屋に戻ろうとしたのだが芦原さんに、進藤がお酒を飲んで
酔いつぶれたと聞いて、僕は心底ガッカリした。
部屋に戻ってみると、進藤は布団で寝入っていた。
「ぃ…。」
何かをうわ言の様につぶやいている。
「進藤?大丈夫か?」
僕は進藤の顔を上から覗き込む。
「佐為、佐為!行くな…」
進藤の声が今度はハッキリ聞こえた。
さい?まさか、sai?行くなとはどういうことなんだ?僕は問い詰めようとしたのだが…
急に、伸びてきた進藤の腕に掴まれて、僕は心底、驚いた。
突然のことなので、抵抗もできずにそのまま腕の中に捕らわれる。
「しんどっ、ちょっ」
そのまま、ぎゅっと抱きしめられて、布団に引きずり込まれた。
何で、こんなことになっているのだろうか。
「進藤、離せっ」
必死でもがくが、進藤の手は緩まない。さらにキツく抱きしめられる。
なぜ?こんなことを。
進藤は、自分のことを女性と間違えているのだろうか。
さい、とはsaiのことではない?それとも、saiは女性だと言うのだろうか。
トクンと進藤の心臓の音が聞こえた。
僕はその音を聞いた瞬間、進藤と自分がとんでもないくらい、近くにいる…ということを自覚してしまった。
自覚した途端に、顔が熱くなる。
なぜ?進藤は、自分を女性と間違えているだけなのだろう。
別に、自分に何かをしたい訳でもない。だが…。
「進藤!離せっ」
一際、大きな声が出た。
「え、塔矢?!ごご、ごめん!」
進藤は、やっと正気に戻ってくれたようだった。
僕はやっと、解放されてホッとした。
「進藤、saiは?saiは…」
今度こそ、と問い詰めようとしたのだが…進藤は深い眠りに落ちてしまったのだろう。
何度話しかけても、起きなかった。

その日は、一睡もできなかった。
抱きすくめられて、抵抗できなかった。進藤の力強さを思い知らされた。
朝、一番の電車で帰ったのは、平常心で進藤と向き合う自信が無かったからだった。

その後、すぐに大手合いで進藤に会った。
「塔矢!」そう、声をかけられたが…
僕は、何をどう話していいのかわからない。思わず無視をしてしまった。
その後、どうにか取り繕うとしたのだが芹澤先生の研究会では今度は進藤の方が、僕と目を合わせてこなかった。
進藤はその後、碁会所にも姿を現さなかった。なぜ来ないのか気になる。
何よりも、進藤と打ちたい。僕はそう、強く願った。
もちろん、高段者や本因坊リーグにいる棋士たちとの対局も勉強になる。
だが、進藤との対局は、僕をより一層、高みへと導いてくれる。そんな気がするのだ。
進藤は僕が思いつかない手をどんどん打ってくる。
それを、どう受けるのか。自分はどう受けて、進藤のよんだ手を凌いでいくか。
考えるだけで、ワクワクするのだ。

乃木先生との対局の検討が終わった後、天野さんに進藤が来ていたと聞いた時、思わず走り出していた。
エレベータでは間に合わないと思い、階段を駆け降りる。
「進藤!」
何とか、棋院の入り口で捕まえることができた。
進藤は、僕に声をかけられて以外そうな顔をした。
「これから一局、打たないか?」
と言われた時、僕はとても嬉しくなったのだ。進藤も、僕と打ちたいと思ってくれていたのだろう。
だが…。進藤は驚いたような顔をした。
まるで、僕が断ると思っていたような、そんな表情だった。


その後、進藤の部屋で打った対局。
僕はかなり、手を抜いてしまった。進藤があまりにも集中していなかったからだ。
(進藤、どうしたんだ。そこは、その一手では甘い。いつもの進藤ならば、そんなところに打たない。
もっと何通りも先をよんだ上で、強手を放ってくるはずだ。)
だが、当の進藤は甘い手ばかり。
こないだの、進藤の棋譜をみせてもらったが碁聖戦、二次予選の決勝。
七段の棋士相手に一歩もヒケをとっていなかった。

なぜ?なぜ、僕との対局だけ手を抜くのだろうか。
こないだも、明らかに集中していないようだった。なら、自分も…。
指導碁ではなく、互い戦の対局で自分が手を抜くことはありえない。

プライベートだろうが、公式戦だろうが、自分の全力で戦う。
そうしなければ、本当の勝負の時に、勝負勘がにぶってしまう。
苦しい局面に追い込まれたときに、起死回生できない。それが、僕の信条だった。
だが…進藤のやる気の無さに、僕自身、やる気を無くしてしまったのだ。
結果は、進藤の中押し勝ちだった。
進藤は戸惑ったような表情で「お前、どうしたんだよ?俺のこと避けてたのに、急に対局に応じたり…。
何、考えてんのかわかんねーよ。」
そう、言ってきたのだ。気持ちがわからないのは、こっちである。

大体、あんなふうに抱きしめられて驚かない方が無理だろう。
例え、女性と間違えたからと言って、なぜあんなことをしたのか。訳を話してくれてもいいのではないか。
だが、進藤はその件に関しては何も弁解しない。
そればかりか、「お前のこと、抱きしめたこと後悔してないんだ。」
そう、言ってきたのだ。あまりのことに、僕は驚いた。
なぜ?なぜ、抱きしめたことを後悔しないのか。悪いと思っていないのか?
もう、たくさんだ。僕自身、進藤に構っている時間は無い。
そもそも、本気を出してかかってこないような相手と何度も対局しても意味は無い。

気がつけば、僕は叫んで走り出していた。途中、誰かとすれ違ったような気がした。
確か、院生から進藤や越智くんと同じ時期にプロになった和谷くんだ。
その前の年のプロ試験で一緒になったし、手合いでも何回か打ったことがある。
彼は、叫び、飛び出した自分をどう思ったのだろうか。
だが、もうそんなことはどうでもよかった。。もう、進藤にこだわるのはやめよう。

「最近、アキラくん元気無いじゃない。どうしちゃったの?」
碁会所で、僕が一人で棋譜並べをしているところに市河さんがやってきた。
僕は「別にそんなことないよ。」と答える。
「やっぱり、進藤くん?」市河さんの言葉に思わず
「違う!」と、大きな声がでてしまった。
「そうだぜ、イっちゃん。妙なこと言うんじゃねぇよ。
若先生が進藤なんかに振り回されてたまるか。」
北島さんの言葉に、市河さんはハァと溜息を吐いた。
「違うならいいのよ、違うなら…ね。」


進藤と一度も対局しないまま3週間がたち、8月20日を迎えた。
進藤の天元戦三次予選の一回戦だ。
僕は、もうすでに三次予選一回戦は勝ち抜いていた。
進藤とあたるのは、吉岡九段だ。僕も何回か上位の予選でぶつかったことがある。
弱いか強いかで聞かれれば、強い方に入る棋士だ。
進藤か、吉岡九段か。どちらか勝った方が決勝戦で自分とぶつかるのだ。
僕は迷ったが、結局、棋院まで足を運んでしまった。
進藤、無様な負けは許さないからな、そう思いながら、進藤と石井九段の対局を観戦する。
進藤の序盤からの布石。これがいい具合に地を作るのに、効果覿面の形をしている。
うまい石の運びだ。
それに、この黒の厚みを活かしての攻めの一手。右辺を狙っての一手か?
いや…進藤のことだ。もっと先の…そうだ、左辺・中央の地を狙ってのものだ。
僕は気付いた。だが、吉岡九段は気付いているのだろうか。
おそらく、進藤と何度も対局をしている僕だからこそ、わかった一手だ。
もし、対局をしていなかったら気づけたかどうか…。
この対局、見るまでもない。進藤の勝ちだ。


その日、碁会所で市河さんに
「進藤くんね、アキラくんと天元戦の予選の決勝であたるまでここには来ないって言うのよ。
でも、そこでいい勝負ができたらまた来るみたい。」
そう、話しかけられた。市河さんはどこで、進藤に会ったのだろうか。
だが、碁会所に来ない理由を聞いてくれるほど心配してくれていたのだろう。僕は、申し訳なく思った。
進藤の今日の対局を見てわかったことがある。
やはり、進藤と自分は生涯のライバルだ。再認識できた。進藤の碁はとても面白い。ワクワクする。
今日の対局も自分が相手だったら、よかったのに。本当にそう思う。
だが、進藤はなぜプライベートでの自分との対局に手を抜くのか。
それはわからないままだ。だが、もうそんなことはいい。
どのみち、三次予選決勝でぶつかるのだから。碁の中で、進藤と向き合おう。僕はそう決意したのだった。
そして、三次予選決勝を迎えて、僕は敗れてしまった。
得意気になる進藤の前では「たった一回の勝利がなんだ」と言ってしまったが僕自身いい対局だったと身を
持って感じていた。この対局が終われば、進藤はまた碁会所に顔を出してくれる。
また、碁が打てる。僕は嬉しくなったのだが…。


それなのに…最近の進藤の様子がおかしい。
確かに碁会所には顔を見せるし、別段、僕を避けていると言う訳ではない。
だが、またしても対局に集中していないのだ。
話しかけても上の空である。
最近の対局のほとんどが、僕の中押し勝ちか、4目半以上の差での勝ちだ。
調子が悪いのかと思えば、他のプロとの対局を見るとそうでもない。
順調に、天元戦の本戦を順調に勝ち抜いているし、他の棋戦でも低段者だけでなく高段者にも白星をあげているのだ。
自分との対局によっぽど手を抜いているというのだろうか。
なぜ?進藤は僕を本気を出すほどの相手ではないと思っているからなのか。
そんなふうに、なめてもらいたくないと思うのだが、進藤は対局が終わると
「ちくしょう!」とくやしそうだし「もう一局、打とうぜ!」と好戦的な時もある。
そんなふうに、進藤から持ちかけた時は白熱した良い対局になるし、僅差の差で僕が負けることもある。
進藤のこの差は何なのだろうか。僕には一向に見当が付かない。
ただ、進藤の碁に振り回されているだけなのである。
一度、あまりに進藤が集中していないようなので「いい加減にしろ」と怒鳴った事がある。
しかし、進藤は何も言い返さずに「わりぃ」と言って帰ってしまった。
碁盤では、これから盛り上がっていくはずの中途半端な碁が残された。
くやしかった。このまま、打ち続けていればきっと良い対局になったものを。
広瀬さんや市河さんも、進藤のことを心配していた。
「進藤くん、顔を見せてくれるようになったけど、このとこずっと上の空ね。
アキラくんに負けてばっかりだし。」市河さんが心配そうにつぶやいた。
「ケッ、アイツは駄目な奴なんだよ。」進藤のことを好いていない北島さんがそう悪態をつく。
「でも、週刊碁を見てみると進藤くん、連勝してるみたいなのよ。どうしたのかしら。」
市河さんがそうつぶやくと、北島さんですら黙ってしまった。

つづく

Momentのアキラサイドです。なんか、いろいろ謎が解けるかなぁー。 私の勝手な解釈としてはね…アキラくんはヒカルより、悩まない。そんなイメージがあります。 そして、わからない・納得しないことはとことん追求する。情熱家。そんな感じ? アキラくんがAB型ということで、勝手にそう解釈してしまいました。笑 アキラくんはヒカルに告白されたことも、冗談だと思っているのであまり気にしていません。 ヒカルの様子がおかしいのも、それが原因だと露にも思っていません。 そこらへんを面白くかけたらいいな、って思いますw

aya 著 / 掲載サイト:【Moment

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