「なぁ、進藤。最近、塔矢と打ってるって本当かよ?」 和谷の部屋で、いつも通り碁の研究会ならぬリーグ戦をやっている時の事だった。 唐突に和谷に聞かれてオレ、進藤ヒカルは面喰ってしまった。 確かに、北斗杯が終わってからオレと塔谷は前にも増して頻繁に打っている。 「ああ、まあな。」 オレが頷くと 「なるほど、進藤ってやっぱり塔矢と仲いいんだな。」 伊角さんが関心したようにつぶやいた。 和谷の部屋に着ていた奈瀬や小宮さんたちまでも、「へぇ」と話に加わってくる。 オレはふと昔から塔矢の話になると、院生たち皆が面白そうに食いついてくることを思いだした。 塔矢が俺たちとそう変わらない年で、あれだけの強さをもっているからなんだろうけど。 「ふーん。塔矢も変わってるね。」 一人で棋譜を並べていた越智が、ふとそうつぶやいた。 越智はプロ試験の時に、塔矢に指導碁を頼んでいたようだ。 その時に、塔矢行洋がやっている研究会に入れてくれないか、と懇願したことがあるそうだ。 越智も越智で、オレの立場が羨ましいのかもしれない。 オレたちの年代の、碁を志す者の中で「塔矢アキラ」を知らない者はいない。 いや、若手だけでなくもっと上の高段者・タイトルホルダーまでも「塔矢アキラ」の名前を恐れている。 果たして、「進藤ヒカル」の名前はどこまで追い付いているのだろうか。 オレも負けてなんかいられない。足を止めるわけにいかない。これ以上、塔矢に突き放されてたまるものか。 「さあて、あたし帰ろう。今日、デートなんだ」 時計を見て奈瀬が立ち上がると、「じゃあ、僕も」「オレも」と皆が立ち上がる。 オレもそろそろと思い、立ち上がろうとしたのだが 「進藤、ちょっと話があるからお前は残れよ」 そう、和谷に呼びとめられた。 「あれ、伊角さん、帰ったんじゃないんだ。」 部屋の隅にある伊角さんの荷物を見て、オレはそうつぶやいた。 さっき、皆と一緒に出ていったから、てっきり帰ったのだとばかり思った。 「ああ。なんか、コンビニに用があるんだって。」 「ふーん」 「でさ、進藤。やっぱりここのアパート向かい側の部屋空くみたいだぜ。」 「ほんと?」 前に、オレは一人暮らしを始めたいと和谷に相談したことがあった。 だから、口をきいてくれたのだろう。ここなら、棋院からも近いしありがたい。 「ああ。でも、ここ立地条件もいいし割と格安だし、誰か借りちまうかもしれないから返事、早めにな。」 「いいよ、今度の休みに引っ越すよ。」 もともと、どこにせよ、一人暮らしはするつもりだったので親にも話はしてあるし荷物も最低限、まとめてある。 「お前がこの向かいの部屋に引っ越すとなると、助かるなぁ。」 「え?」 「食費も浮くしな。それに二部屋もあれば研究会に結構の人数呼べるじゃん。」 「ハハ、確かに。」 その後、和谷と森下先生のことや来年の北斗杯のこと、白河先生の結婚が決まったことなど下らない雑談を交わしていたが 「―あのさ、進藤。」 突然、和谷が真剣な面持ちで、そう切り出してきた。 「なんだよ?」 オレが聞き返すと、和谷は言いにくいのか、視線を泳がせる。 「いや、えーとさ。」 和谷はいつも、自分の思ったことを口に出す方だ。オレもよく、こうしろ、ああしろと和谷に注意を受けてばっかりだ。 ひとつ、年上ということもあるだろうし、いい兄貴分といった感じだ。 だから、こんなふうに何かを言いにくそうにしている和谷は初めて見た。 「なんだよ?」 気になったので、更に尋ねる。和谷は少し逡巡していたが、決心したのかオレの目をまっすぐ見つめこう言った。 「―お前と塔矢って付き合ってんのか?」 「はあ?」オレが出した第一声はそれだった。 オレと塔矢が付き合ってる?まさか、和谷の口からそんな言葉が出てくるとは思わなかった。 「あのさ、和谷。大事なこと忘れてんだろ。塔矢って男だぞ。」 「いや、なんかさ…ネットに書き込みがあってさ。一部のファンの間でそういう噂があるみたいだぜ。」 オレは驚いてしまった。なんで、そんな噂が出てきたんだろうか。 まぁ、ネット上のことだから、真偽もわからず適当に書く奴がいるんだろうけど。 まぁ塔矢はテレビでもたびたび、取り上げられているので囲碁のファンでない人にも名前が知れられているようだ。 さらに、あの美形である。 そんな、突拍子もない噂が広まるのも無理は無いだろう。 「なーんだ。お前らって、付き合ってんじゃないのかよ。」 和谷は、がっかりだ、と呟いた。 「なんか、つきあっててほしいみたいな言い方すんな。」 「ちがう、ちがう。そうだったら、面白いなって思っただけだって。」 「何が、違うんだ?」 ガラッとドアがあく音がしたと思ったら、伊角さんが顔を出した。 「いや、別に。」と、和谷が慌ててごまかす。 「伊角さん、聞いてよ。和谷ったらさー」 「進藤!」 伊角さんに事情を説明しようとしたら、和谷にとめられた。 「何で和谷のことでもないのに、和谷が嫌がるんだよ?」 「そうだけどさ…」 なぜか嫌がる和谷を無視して、オレは伊角さんに面白い噂のことを説明した。 伊角さんはしばらくきょとんとしていたが、ハハと笑いだした。 「へぇ、そんな噂があるのか。まぁ、一緒に碁会所で打ち合ったりするからだろうな。 北斗杯でも二人の名前は有名になったし。」 「だからって、付き合ってるとか噂になるかよ。でも和谷ったら、本気で聞いてくるんだぜ?」 「そりゃ、疑いたくもなるよ。塔矢は、お前のことしか頭にないんだぜ。お前だけ特別扱いだって越智が言ってた。」 「そりゃ、運命のライバルですから。」 オレが笑って茶化すと、和谷は調子のんな!と怒った。 「和谷、俺たちも進藤に負けてらんないぞ。塔矢に勝たないと。 俺はこないだの手合いで塔矢に負けたし、お前も負けているじゃないか。」 「伊角さんは半目負けだっただろ。伊角さんなら勝てたよ。」 和谷の言葉にオレも頷いた。 「確かに。惜しい、いい碁だったな。」 「お前らは、昔っからそうやって俺にプレッシャーをかけるんだから。」 そうやって苦笑いする伊角さんの顔を見ていたら、打倒!塔矢に燃えていた院生の頃に 戻ったような気分になった。あの頃から比べると、オレは塔矢に近付けたのだろうか。 「進藤、君の番だ。」 突然、透き通る声が頭上から降ってきて、戸惑う。 オレは今、塔矢の碁会所にいることをハッと思いだした。 さらに、塔矢と対局の真っ最中だった。 やばい、やばい。対局に集中しないと塔矢はすごく怒る。 こないだも、対局中に携帯電話がなってしまい、対局を中断せざるを得なかったことをすごく怒られた。 『対局中は携帯の電源は切っておけ!棋士としての常識だろ』と怒鳴られたのだ。 オレは「ああ」と何でもないフリをして、石をとって盤上に置いた。 パチッと音をたてて、塔矢がそれに続く。結果はコミをいれて5目半。塔矢の勝ちで終局した。 やばいな、折角、塔矢と打っているのにちっとも集中できなかった。 「今の碁を公式戦で打ったとしたら、進藤、君の評価を下げる所だったね。」 塔矢は盤上をキツくにらみつけながら、そう感想をもらした。相変わらず、厳しいお言葉である。 「うるせーな。ちょっと、集中できなかっただけだよ。」 オレの弁解に、塔矢は眉をひそめた。 「ちょっと?序盤で、白が有利に運んだにもかかわらず、後半のこの乱れ具合は何だ? ちっとも集中できていない証拠じゃないか。」 確かに。序盤では、ほぼ互角に争っていた。いや、僅差でオレの方に分があった。 オレは和谷たちとの会話を考えていたことを後悔した。 目の前に対峙する塔矢を、碁に真剣に向き合っている塔矢をまじまじと見てしまったから。 急に、碁よりも塔矢自身に興味が移ってしまったのだ。 しかし、塔矢はよく自分に失望しないなぁ、と思う。 僅差といえど、オレにはまだ塔矢ほどの強さはない。 勝負の時の力強さも、塔矢には及ばない。それが、すごくくやしくてたまらない。 「塔矢、もう一局、打とうぜ」 オレがそう言うと、塔矢はまだ何か言いたそうだったが盤上の石を片づけ始めた。 碁会所を出るころには、9時過ぎを回っていた。 ずっと椅子に座っていたせいか、やたら肩が凝る。 そういや、佐為がオレに取り憑いていたころも、よく肩が凝っていた気がする。 取り憑いた、なんて言ったら佐為は嫌がるだろうな。 『私はヒカルに悪影響なんて与えていませんよ、むしろ感謝してもらいたいぐらいです。』 佐為の拗ねたような、言い方までリアルに想像できてオレはクスッと笑ってしまった。 「進藤」 後ろから声をかけられて、振り返ると塔矢が立っていた。 「お前、まだ打っていくんじゃなかったのか?」 だから、一人で先に出てきたのだ。 「ああ、そのつもりだったが、父たちが予定時間より早めに帰ってこれそうだと連絡があったんだ。」 「塔矢先生、今日帰ってくるんだ。確か、台湾に行ってたんだよな。」 「ああ。1週間ほど、向こうに滞在していたんだ。また帰ってきてもすぐに、韓国に飛ぶんじゃないかな。」 「へぇ。棋士を引退しても、そうやって自由に碁を打てるってなんか、いいな。さすが、塔矢先生って感じだ。」 塔矢先生とは先生が入院した時に、お見舞いに行ったっきり会っていない。 なんとなくsaiのこともあり、気まずくて会いにくいのだ。 まぁ、塔矢の言うように、先生は各国を飛び回っていて忙しそうだし会う機会も無いからその心配は無用かもしれないが。 「しかしなー。公式戦で一度でいいから、塔矢先生と当たってみたかったな。」 元5冠の塔矢先生と公式戦で当たるなんて、少し無謀かもしれないがそういう夢を見たっていいだろう。 「当たったじゃないか。新初段シリーズで。」 塔矢に言われて、オレはハッとした。そういや、そんなこともあったな。 あの時、打ったのはオレじゃない。佐為だ。でも、塔矢先生も塔矢も打ったのはオレだと思っている。 まずいことを口にしたな、と思った。あの新初段シリーズの一局のことはあまり触れられたくないのだ。 「そういや、当たったな。でも、あれは緊張しすぎて先生の足元にも及ばなかった一局だから無し無し。」 オレが慌てて、そうごまかすと、塔矢はまっすぐにオレを見つめた。 「僕はそう思わない。」 そう、はっきりと言いきる。 「桑原先生も緒方先生も、あの一局で君の評価を下げなかった。むしろ、興味深い一局だと言っていたよ。」 やれやれ。塔矢の瞳はまっすぐだ。オレを見ているのか、あの時の佐為を見ているのか。 いつか、この瞳を自分に向けたい。オレの打つ碁がオレのすべてだ、と思わせたい。あの時の佐為を、塔矢の中から消してやりたい。 でも、その半面。佐為を忘れないで欲しいと思う気持ちもある。自分はつくづく、矛盾していると思う。 「進藤?」 ずっと黙っていた、オレを訝しげに思ったのだろう。 「いや、何でもない。じゃあ今度、公式戦で当たることがあったら絶対負けねーぜ。 若獅子戦では負けちまったからな。」 「望むところだ。」 碁会所から駅は割と近い。路地裏から大通りに入り、大型デパートの横を通りすぎればすぐもう駅だ。 塔矢とオレは大通りに入ってから無言になった。 「そういやさ、知ってるか?」 沈黙を破るように、オレは話しかけた。 「何?」 「オレたちさ、ネットで―」 そこまで、言いかけた途端に塔矢の携帯が鳴った。 「失礼。」 塔矢は立ち止まると、オレに背を向けて携帯に出た。 「―うん。今、碁会所の近く。もうすぐ駅に着くから。―いいよ。わかった。―うん――」 電話の相手は、どうやら塔矢のお母さんのようだ。電話が終わると、塔矢はオレに話の続きを促した。 しかし、どうも今、このタイミングで切り出すのは気まずい気がした。 それに、塔矢って冗談が通じないようなイメージがある。怒りだすんじゃないだろうか。また、ふざけるな!なんて。 「いや、何でもない。オレたち、ネットで話題になってるなっていう話。それだけ。」 「話題?ああ、北斗杯の出場選手だったからだろう。」 「まあな。」 そして、また沈黙。なかなか、塔矢との会話は弾まない。 いや、別に沈黙が嫌だとかそういうわけではないが、何だか塔矢とは和谷たちと話しているように話せないのだ。 下らない冗談を言いあうような雰囲気でも無いし、打ち解けた話題も特にしない。 碁が無かったら、絶対に出会わなかったに違いない。 けれど、塔矢との碁の検討は楽しいし、対局もとても勉強になることばかりだ。 もっとプライベートでも仲良くなれたらいいのに。 碁盤の上での塔矢アキラを、オレはとてもよく知っている。 塔矢先生を除けば、誰よりも塔矢の碁をオレは知っているんじゃないだろうか。 けれど、プライベートの塔矢を全く知らない。 コイツがどんな私生活を送っているのか、全くわからないのだ。 オレと塔矢って、付き合ってはいないけど、友達ですら無いのかも。 なぜか、ふとそんなことを思った。 だが、天下の塔矢アキラと友達…。なんだか、それもしっくりこない。結局、自分はどうしたいんだろう。 オレは、昔から、割と人づきあいが得意な方だ。 物おじする方ではないので初対面でも、すぐに打ち解けて仲良くなれる。だが塔矢相手だとうまくいかない。 すぐに、塔矢を怒らせてしまうし、オレもカッカしてしまう。 そんなことを考えていたら、いつのまにか駅に着いていた。 「僕、今日は反対方向だから。」 改札を入ったところで、塔矢はそう言った。 「ああ」 「芹沢先生の研究会でまた。」 「おう」 オレが明るく手をあげると、塔矢は身を翻してホームに続く階段を降りて行った。 成田から東京駅まで戻ってきた先生たちと食事でもするのだろうか。 オレは、塔矢の降りて行った階段をしばらくの間、眺め続けていた。つづく
aya 著 / 掲載サイト:【Moment】