「僕の部屋は、こっちだ。北斗杯前の合宿では使わなかったが…」 塔矢に案内されてオレはすごく不思議な気分になった。 何だかひょんなことになったものだ。 まさか、塔矢の部屋でこうして碁を打つことになるとは。 まぁ、塔矢と打つことは勉強になるし、打てるのは明子さんのおかげなので感謝しなければならないが。 「塔矢のお母さんってさ、すげー息子思いなんだな。」 「え?」 「心配なんだろ、息子に同年代の友達がいるかどうかが。 お前、なんか大人ばっかりの世界で育ってそうだからさ。」 オレの言葉に塔矢は溜息をついた。 「普段は大人扱いなのに、変な所で子ども扱いをするんだ。 自分は子どもを放っておいて、夫についていってしまったくせに。」 「お前、置いてかれたことさみしいんだ。」 オレが茶化すと、塔矢はキッとオレを睨みつけた。 「別にそうは、言ってないだろう。」 「かの塔矢アキラが、母親がいなくてさみしがってたら面白いのにな。」 「進藤!さっさと打つぞ。君も三次予選進出なんだろ。言っとくが、一次予選、二次予選と勝ちあがってきた 者ばかりだ。手を抜いていると負けるぞ。」 うっ。さすが、塔矢だ。やっぱり、冗談は通じないようだった。 芦原さんに見せる笑顔をオレにもみせてほしいのに。 「わかってるよ!だから、こうしてお前と打って鍛えておくんだ。お前こそ、本因坊リーグで 大変だからって手を抜くなよ。」 「僕がいつ、手を抜いているとでも?君と一緒にしないでくれ。」 「なんだと!」 塔矢が本気だから、オレもつい、負けじと憎まれ口を叩いてしまう。 いつもこんなふうに、塔矢と言い争いになってしまう。なんかなぁ… ちょうど、その時だった。ガラッと襖があいたと思ったら、が顔を出した。 「お茶でもどうかな、と思ったの。」 お盆に載せたお茶を差し出す。 「すいません、ありがとうございます。」 オレが会釈すると、明子さんは笑顔になる。笑った顔がどことなく、塔矢に似ている。 「進藤くん、もし無理に御引き留めしてしまっていたら本当にごめんなさいね。」 「いえ、とう…、あ、えっと…あ、アキラくんとの対局は本当に勉強になるんで助かります。」 塔矢家の人に塔矢と言うのも失礼なので慌てて言い直したのだが…アキラだなんて、呼んだこともないので 何となく照れくさい。 「ちょっと、トイレにいってくる。」 塔矢は立ち上がると、そのまま部屋から出て行ってしまった。 塔矢のお母さんは心配そうに、塔矢の後ろ姿を見つめていた。 「あの子ね、なかなか進藤くんのような同年代の友達ができにくいと言うか…主人の門下生の方と接する機会も多かった からかしらね。大人とばかり仲好くなってしまって。碁の世界ではそれが当たり前なんでしょうけど。」 オレは、ふと自分の母親のことを思い出す。手合いなどで遅くなったりすると、すごく心配される。 一人暮らしを始めたいと言った時も、母親はオレがちゃんと一人でやっていけるかどうか、不安がっていた。 オレと同じで、塔矢もまだまだ親に心配される15歳の少年なのだ。当たり前のことだが、塔矢のお母さんに会うまで忘れていた。 「じゃあ、私はこの辺で。進藤くん、ごゆっくり。」 明子さんが出て行ったあと、しばらくして塔矢が戻ってきた。 「打とうか。」 塔矢の言葉にオレは頷いた。 「へぇ。なかなかいい対局だったじゃないか。」 オレの今日の対局を見せると、めずらしく感心したようだ。 「だろ?中盤で大きく引き離すことができたんだぜ。 川島さんオレに負けたことが信じらんないみたいだったな。」 塔矢はしばし盤上を見つめていた。「この一手。僕なら攻めずに、先に右辺を厚みにいくけど…」 「だけどさ、ここで黒にこう打たれちゃうと…攻めにくいだろ?」 「それなら…」 一通り、検討が終わって時計を見ると午後11時を回っていた。 「もう、こんな時間か…」 「泊って行きたかったらそうすればいいよ。部屋もある。」 「うーん、そうだなぁ。今更、帰るのもめんどくさいしなぁ。その前にトイレ借りるよ。どこだっけ?」 「前に案内しただろ。」塔矢はふすまをあけて、廊下の隅を指差した。 「あそこの角を右にまがった所だよ。」 「おまえんち、すげー広いから迷うんだよなぁ。」 トイレの位置どころか、社と自分が泊った部屋がどこなのかも覚えていない。 ずんずんと廊下を進んでいくと曲がり角につきあたる。あれ、右だっけ。左だっけ。 ええい、もういいや。適当に進んでいけばいずれ、つくだろう。 オレは左に曲ることにした。廊下を進んでいると、少し開いた襖の隙間から明りがもれている部屋があった。 塔矢のお母さんとかの部屋かな。そう思いながら、前を通り過ぎると隙間から塔矢先生の真剣な表情が見えた。 どうやら塔矢先生の部屋らしい。先生は碁盤に向き合い、じっと前を見据えて座っていた。 碁盤には黒が一手だけ、おかれている。その後、打つのかと思いきやなかなか打ち始めようとしない。 じっと座っているだけである。何をしてるんだろう、塔矢先生。 まるで、誰かの一手を待っているみたいだ。 オレはふと、思い返す。佐為と塔矢先生のあの一局。あの時も塔矢先生が黒番だった。 オレはあの一局を誰よりも近いところで見ていた。だからだろうか。 塔矢先生が誰の一手を待っているのか、すぐにわかった。佐為ともう一度打たしてやりたかった。 塔矢先生だけじゃない。緒方さんや、塔矢とも。佐為がなぜ、消えてしまったのか。 その疑問がずっとオレの胸をぐるぐると渦巻いている。 しかし、高永夏との対局を終えた今、何となくだが答えが見えてきた気がする。 佐為は自分のために現世に現れて、そして役目を終えたから消えてしまったのではないだろうか。 オレを碁の世界へと導き、そして塔矢先生との一局を見せるという役目を。 碁の神様が本当にいるかどうか、オレにはわからないし、わかりようがない。 だが、ひとつだけ確かなことは、佐為はその碁の神様に導かれて自分の元へ来たのではないだろうか。 ならば、自分のすべきことはひとつ。もっともっと佐為を吸収して、強くならなければならない。 これから、オレと打つ人全員に、オレの中にある佐為の存在に気付かせなければならない。 自分に与えられた使命は、それなんじゃないかなと思うのだ。 「し、進藤くん?」 ハッと気づいて前を見ると、こっちを見ていた塔矢先生とバッチリ目があう。 「あ、す、すいません。」 オレは慌てて、その場を立ち去った。 「進藤くん、待ちたまえ!」 塔矢先生の声が後ろから聞こえたが、無視をした。 saiのことで、何か聞かれたくない。 もう少し、待っていてほしいと思う。自分が佐為に追い付くまで。 それまで塔矢先生とは対局しない。そう決めたのだ。 適当に曲ったにも関わらず、元の塔矢の部屋にたどり着いた。 人間、焦ると何でも思いどおりに行くもんだ。 「進藤、遅かったじゃないか。僕はお風呂に入るけど、君は…」 塔矢に聞かれて「オレ、今日は帰るよ。」早口でそう言った。 「こんな時間に?電車は?」 「棋院の近くにアパート借りたんだ。そこならここからも近いから多分、間に合う。」 「そうか。」 「塔矢先生にあわす顔が無い。」 「え?」 「あ、いや何でも無い。じゃあ、また。」 オレは慌てて、塔矢の部屋を後にした。 オレがアパートに着いたころには、もう日付が変わるくらい遅くなっていた。 「進藤、おそかったじゃねーか。こんな時間まで、どうしたんだ?」 帰ってきた音を聞いたのだろう、和谷が自分の部屋のドアから顔を出す。 「対局の後、塔矢ん家行ってたんだ。塔矢先生の研究会だよ。今日だけ、参加させてもらった。」 「へぇ、どうだった?」和谷は興味津々だ。 「んー面白かったよ。今度、また詳しく話すよ。オヤスミ」 それだけ、和谷に言うとオレは部屋のドアを閉めた。今日は早く寝てしまいたかったのだ。 色々なことがあって、すごく疲れた。 対局のあと、ずっと検討してたもんな。その後も塔矢先生の研究会に参加したし。 でも、研究会もワクワクしたし、塔矢との検討も楽しかった。塔矢先生が、今でも佐為の一手を待っている 事もわかった。ふと、窓の外に目をやると大きな満月だった。 「佐為に会いてぇなぁ」 オレは無意識にそう、つぶやいていた。つづく
aya 著 / 掲載サイト:【Moment】