大音量の携帯の着信音で、オレはたたき起こされた。さっきから、ひっきり無しになっている。 昨日は和谷たちと、伊角さんが中国から帰ってきたのでそのおみやげ話を聞くのと雑談で盛り上がって しまい、寝たのは夜中だった。眠い…だけど、出ない限り、携帯は鳴りやまないだろう。 「っはい、もしもし?進藤です。」 ディスプレイの文字を確認しないまま、寝ぼけ眼で携帯に出ると 「進藤くんだねっ?!棋院の者です。」 突然、大声で叫ばれてしまった。こっちは、寝起きなんだぞと言ってやりたいが棋院の人と言われてし まえば何もいえない。 「はい、そうですけど…何か用ですか?」 『本当に、急で申し訳ないんだけどね…囲碁ゼミナールが今日、開催されるのは知ってるね?』 早口でそう、まくしたてた。そういや、そんなものがあった気がする。 まさか…オレは嫌な予感がした。 『実はね、来るはずだった西沢さんが事故に合ってしまってね。代打でどうしてももう、一人棋士が必 要なんだよ。進藤くん、今日は対局が無かったね?来れないだろうか?』 「ちょっと待ってください、今からですか?!」 『いやぁ、ほんっとに申し訳ない。あいにく、みんな手合いが入ってしまっていたりして他に来れる棋 士はいないんだよ。』 確か和谷や伊角さんは今日、対局だと言っていたな。 「確かに、何も予定無いですけど、でも…」 よっぽど切羽詰まっていたのだろう。相手はオレの言葉をさえぎって 「君の家の前まで車で迎えによこすから。準備してくれ!本当に申し訳ない。」 それだけを一方的にまくしたてて、一方的に切られてしまった。ちょっと待ってくれよ。 確か、今度の囲碁ゼミナールは千葉県のホテルで行われるんだったな。1泊2日だったような…。 ったく、今からなんて、めちゃくちゃな。若い棋士だからってなめられてんのかな。 しかし、予定が無いのも本当である。仕方ない、行くしかないか。オレは眠い目をこすって起き上った。 会場は千葉県の犬吠埼温泉の近くだった。 犬吠先は、関東最東端に位置し、日の出が一番早い岬と言われているらしい。タクシーの運転手がそう教 えてくれた。家を出たのが7時ちょっと過ぎ。会場に着いた時には12時をまわっていた。車の中で少し 寝たのはいいけれどまだ寝足りない。フラフラの状態で、会場に行くと棋院の人によびとめられた。 「進藤くん、ほんっとに悪かったね。来てくれて助かったよ。あ、これスケジュール表と部屋割り。塔矢 くんと同じ部屋にしといたから。」 「え?」 「君と塔矢君以外、みんな20代以上の棋士になっちゃうからね。それより、年代が近い方がいいと思っ てさ。塔矢くん、あんまり相部屋を好まないんだけど、今回は仕方ないね。」 塔矢が来ているとは知らなかった。 アイツ、こういうイベント断りそうなイメージなのに。もっとも、オレもあんまり好きではないので引き 受けないようにしている。だが、今回は仕方ないよなぁ…。 とりあえず、荷物を置きに部屋へ行くと、誰もいないようだった。塔矢は会場の方にいるのだろう。荷物 だけがおいてある。 塔矢は相部屋を嫌がる…か。社とオレが塔矢の家に泊まった時も、塔矢だけ一人部屋だったことを思い出す。 自分がイベントに初参加した時は否が応でも3人部屋にさせられた。何で、塔矢だけエコひいきするのだろ うか。なんか、待遇が気に食わないなぁ。 その時、部屋のドアがノックされた。「進藤くん、頼みがあるんだ。」 「ちょっと、待ってください。オレが解説の聞き手?!できません。絶対に無理!」 「進藤くん、そこを何とか…たのむよー。」 「あんな大勢の前で、話すなんて無理、無理。やったことないし」 本当なら、西沢さんという女の棋士が解説の聞き手をするはずだったらしい。 だが、あいにくの事故で来れなくなってしまった。 オレにその埋め合わせがきたというわけか。 「お客さんに聞いてみたらさ、君がいいって言うんだ。塔矢くんの対局の解説は。」 「え?アイツが対局するんですか?」 「ああ。川上7段とね。女性だけど、かなりの実力者だよ」 その対局を、オレが解説の聞き手…。対局自体はすごく見たいけど。 「大丈夫だよ、芦原先生にフォローするように頼んでおいたから。」 なるほど…。主に解説する人は芦原さんなのか…。 「本当に、聞くだけでいいんですよね?」 「もちろん。」 仕方ない。これも、プロの仕事というわけか…。 「どうも、どうも。本日、解説することになった芦原四段です。となりが、進藤ヒカル初段。」 舞台上で、マイクをもった芦原さんがそう、挨拶した。 棋院の人が脇から出てきて 『芦原さん、ちがう、ちがう。二段。進藤くん、こないだ昇段したから二段になったんですよ。』 そう小声で訂正しているのが聞こえる。 「すみません、進藤ヒカル二段です。ごめんよ、進藤くん」 もう、何でもいいよ、とオレは思った。行き当たりばったりすぎて、もううんざりだ。 会場を見渡すと、ほとんどの人で埋め尽くされていた。 「じゃあ、今回の対局者に出てきてもらいましょう。塔矢アキラ四段と、川上奈穂七段です。今期活躍して くれた棋士たちですね。」 芦原さんはそっとオレの方に目をやった。頷いた方がいいのか。 「あ、は、はい。」 マイクで話すのも慣れないなぁ。 塔矢が舞台に登場したときには、おぉという大歓声があがる。 やはり塔矢アキラの名前は囲碁ファンの間で知れ渡っているらしい。 「本日は日本棋院主催の囲碁ゼミナールにご参加いただきまして まことにありがとうございます。対局させていただきます、塔矢アキラです。」 塔矢はこんな大勢の前に姿を現しても堂々と挨拶をしていた。次に挨拶した川上七段はかわいらしい女性 だった。あれで、女流本因坊と女流棋聖のタイトルを持っていると言うから驚きだ。確か、院生時代に奈瀬が 「憧れなの」と言っていた気がする。 「お、いよいよはじまりましたね。アキラが先番みたいだな。 あ、知っている人は知っていると思いますが…アキラと僕は、同じ塔矢行洋先生の門下生でもありまして アキラが小さい頃からの付き合いになります。なので親しみをこめて、アキラと呼ばせて頂きます。」 芦原さんは、楽しそうである。反対に、オレは何を言っていいのかわからないので、小さくなってしまう。 オレの心境とは裏腹に、対局は順調に進んでいった。 「お、川上さん、面白い手を打ってきましたね。」 確かに塔矢の一手を受けての攻めだ。形のいい手である。 「進藤くんは、アキラのライバルなんだよね。」 唐突の質問にオレはあわてふためいた。 「え?は、はい、まぁ。」 「じゃあ、アキラのこの一手、どう思う?」 オレに聞かないでくれー。とオレは心の中で叫んだ。だが大勢の人が見ている手前、逃げるわけにも行かない。 「いい手だと思います。でも…あ、いや。何でも…。」 「はは、アキラに怒られると思って何も言えないみたいです。」 ドッと笑いが起きる。 「僕も一緒に怒られるから、言ってごらん。」 「オレだったら、ここでツケて攻めます。多少、カタチが悪くなってしまうけど、ここは攻め時だと思います。」 「なるほど…。確かに僕もここは悩み所かもしれないな。アキラ、カタチの悪い手は好まないからなぁ。 おっと、川上さんが戦いを仕掛けましたね。アキラ、どう受けるか。」 対局は、塔矢の2目半勝ちとなって終局した。 その後、指導碁を打ったり、挨拶をしたりと大忙しだった。やっと解放されたと思い、時計を見ると午後11時を 回っていた。もう、冗談じゃねーや。オレは寝不足でフラフラする体を支えながら部屋へと戻った。塔矢はまだ 戻ってきていないようだった。そういや、ずっと指導碁にかかりっきりだったな、アイツ。 「アキラー、いるかー?おーい。」 突然。ドアを叩かれてオレはびっくりしてしまった。 ドアをあけると真っ赤な顔をした芦原さんが立っていた。 「どうしたの、芦原さん。」 「進藤くんも飲もうよぉ。楽しいよー」 すっかりできあがってる。 「でも、オレ、未成年…」 そう言おうとしたのだが、芦原さんに手をひっぱられる。 やれやれ。去年のイベントでは目の据わった緒方さんの相手をしたんだっけ。 でも、あのとき、saiと打たせてやれてよかった。 そういえば…あのイベントの次の日だった。佐為が消えてしまったのは…。 「みんな、オレより年上ばっかりでさー。やっぱり、年下と絡むのが楽しいよね。アキラは忙しそうで相手して くんないし。」 オレは芦原さんにむりやり会場に連れ戻されていた。何だか、芦原さんを見ていると子どもをみているような 気分になる。この人、人を楽しませることに長けてんだよなぁ。 「ほら、ぐいっと、ね?」 芦原さんに缶ビールを進められる。 「芦原先生、進藤くんって確か未成年じゃ?」 その様子を見ていた、お客さんたちが止めに入る。 「一杯だけならいいでしょ。」 「だめに決まってるでしょ、もう。あーあ。進藤くん!」 このところ、いろいろ考えすぎて疲れ切っていたのは事実だ。パーッとしたい気分だった。一杯、くらいなら 大丈夫だろう。オレは目の前の缶ビールを一気に飲み干した。 なんか、目の前がフラフラする。 そして、気持ち悪い。頭が、ガンガンする。あれから、どうしたのか全然覚えていない。 しかし、何だかいい気分だった。今なら、何でもできそうだ。なんか、視界もボヤけるなぁ。 何で、オレここにいるんだっけ。 あれ? 佐為?佐為がいる?目の前に佐為を見た気がした。 『しっかりしてくださいよ もう』懐かしい。夢にまで見た佐為だ。佐為の声だ。 「佐為!今まで、どこにいたんだよ?!探したんだぞ。お前の事。」 『私はずっとヒカルの側にいますよ ヒカルが見えてないだけですよー』 「そうなのか?オレが見えてないだけ…?」 『ヒカル ヒカル またね』 佐為の笑顔が遠のいていく。 「待てよ、佐為、行くな!佐為!」 オレは佐為と離れたくなくて、手をのばす。佐為…佐為…。 「進藤!」 突然、目の前の世界が崩れた気がした。ハッと現実に引き戻される。 気がつくと、布団らしきものの上にねっ転がっていた。 そしてもっと驚いたことに、目の前に塔矢の顔があったのだ。 「進藤、離せ!」 「え?」 「腕!痛い!」 塔矢に叫ばれて、やっと今の状況を把握した。オレは塔矢の腕をつかんで自分の上に引きずり込んでいたらしい。 「ご、ごめん!」 慌てて、塔矢の腕を離した。え、何でこんなことに…。 「と、塔矢、オレ、今何した?」 「っ君が、お酒を飲んで酔い潰れていると芦原さんから聞いて慌てて帰ってきたんだ。そしたら、何かにうなされているようだった。」 そうだ、佐為の夢をみたんだ。アイツ、笑ってた。久しぶりの笑顔だった。 「sai、saiとずっと叫んでいた。」 「え?」 「sai、行くな!とずっと叫んでいた。」 「ちょっ、ちょっと待てよ。それで、オレ、お前に何したんだよ。」 「もういいだろ、そのことは。それより、saiは…。」 頭が痛い。気持ち悪い。塔矢の声が遠のいていく。 オレはそのまま、眠ってしまったようだった。 次の日、起きた時には10時を過ぎていた。気がつけば部屋に塔矢はいなかった。 棋院の人に聞けば、朝一番の電車で帰ってしまったらしい。 「進藤くんも、今日はもういいよ。無理に来させてしまって悪かったね。」 棋院の人は申し訳なさそうに、そう言った。 帰りの電車の中で昨日の出来事を反復させた。オレは塔矢に何をしたんだ? 断片的だが思いだせるのは、やわらかい感触と鼻にかかるいい匂い。思えば、あれは塔矢の感触だったんだ…。 それを実感した途端に、オレは顔が真っ赤になった。 オレ、腕をつかんで、ベットに引き込んで…アイツを抱きしめたんだ。 無意識のうちに?佐為と間違えて?何であんなことをしてしまったのか、わからない。 寝不足と二日酔いの頭で考えても、何一つ分からないままだった。つづく
aya 著 / 掲載サイト:【Moment】