「進藤、久々だな。お前と手合いが同じ日になるの。」 棋院までの道のりを一緒に歩きながら、和谷がそう言った。あれから、1週間がたったが塔矢とまともに話していない。 芹澤先生の研究会で、会ったことは会ったが… オレが芹澤先生と話している隙に塔矢は帰ってしまったようだった。避けられているのだろうか。 和谷と連れだって、6階まで上がる。エレベーターを出たところで、塔矢とばったりはち合わせた。 「塔矢…」 オレが声をかけると、塔矢は気まずそうにサッと目を逸らしてその場を去ってしまった。 「あれ、お前ら、喧嘩でもしたのか?」和谷の問いに、オレは何も答えられなかった。 「進藤、この後、どっか飯でも食いにいこうぜ。」 手合いが終わった後、そう和谷が声をかけてくれた。 「ああ。」 どうせ、アパートに帰ってもロクなものがないし、作ってくれる人もいない。 オレも、どこかで食べていきたい気分だったのでちょうどよかった。 「対局に不満があったっていう訳じゃなさそうだな。」 ファミレスで食事をすませた後に、和谷がそう言った。 「え?」 「お前の元気の無さ。今日の対局、中押し勝ちだったんだろ。」 相手が低段者ということもあるだろうが、楽に勝つことができた。そう、対局に不満があるわけじゃない…。 「今日の塔矢の態度と、何か関係あるのか?」 さすが和谷である。なかなか、するどい。今日、ご飯に誘ってくれたのも、オレの元気の無さを見抜いて くれたからだろう。 「和谷さ前に、”オレと塔矢が付き合っている”っていう噂がネットで流れてること、教えてくれただろ。」 俺の言葉に和矢は頷く。 「あれ、どう思った?」 「どう思ったって、もしかしたらって思ったんだよ。お前ら、異常に仲いいし…。」 「そうでもないよ。アイツ、オレの前じゃ怒ってばっかりだし… オレもすぐにカッカしちまう。」 オレの言葉に和谷は笑い出した。 「それが、もう仲が好いって事だろ?塔矢は、あんまり取り乱すような奴じゃねーだろ。 お前だから、心を許してるんじゃないのか。」 和谷の言葉に、オレはハッと気づかされたような気がした。アイツ、オレの前だと心を許してくれてる? そういうことなのか…。 わからない。どうして、それがこんなに嬉しいのか。どうして、塔矢に避けられ続けて、こんなに苦しいのか。 「オレはさ、そういうのに偏見ないよ。」和谷は静かにそう言った。 「別に、お前らが付き合ってたとしても、驚かねーよ。」 和谷の言葉にオレは驚いた。 「別に、そんなんじゃ…。オレ、アイツのことそんなふうに思ったこと無いし…。」 「塔矢に無視された時に、うわーすげーショックーって顔に書いてあったけどな。」 「べっつに。」オレは強がった。確かにショックじゃないと言えば、嘘になる。 だが、塔矢のことを好き?それも恋愛対象として?まさか。自分は普通に女の子を好きになると思っていた。 碁で忙しくて、誰かと付き合ったり好きになったりする余裕も時間も無かったけど。 「オレはさ…好きな人がいるんだ。」和谷はきっぱりそう言った。 「全然、脈無しなんだけどな。向こうはオレのこと、そういう目で見てないし。でも、好きじゃないって 意地張ってた頃より、今の方が全然楽。お前も、楽になっちゃえよ。」 「和谷…」 和谷の言葉に、オレは何も言えなかった。 三次予選までコマを進めた感想を教えてくれないか、と棋院の出版部から 電話がかかってきたのは、和谷と話してから丸二日後のことだった。 自分の感想なんかとって記事になるのだろうか。どうせ大したことは言えない。 だが、是非にという天野さんの言葉で押し切られてしまったのでオレは棋院へと向かわなければならなかった。 今日はちょうど、塔矢の本因坊リーグ戦があるのでちょうどよかった。 相手は乃木先生。乃木先生は初の天元位をとり、絶好調らしい。その乃木先生相手に塔矢がどんな碁を打つのだろうか。 ぜひ、この眼で見ておきたい。 「やぁ進藤君。お休みの所、悪かったね。」 「いえ、ちょうど、塔矢のリーグ戦、見に行く予定でしたし…。」 「10時からだったね。それまでには終わらせるから。私も楽しみにしているんだ。」 天野さんは、三次予選に対しての心構えや、感想などを聞いてきた。 昔から、こういうインタビューなどに答えると言う作業は苦手だった。 というか、自分の言葉や意見を文章にまとめるのも苦手なのだ。 中学校の時の国語の授業などでは、よく佐為に助けてもらったりしていた。 プロ棋士になるということは、こういう機会も増えてくるということだろうか。 めんどくさいなぁ、もう。大人になれば、自然とうまくなるのだろうか。 「ところで、進藤くんは碁を始めてからたった1年ちょっとで、院生になったんだよね。 それで、その次の年のプロ試験でプロになったと。すごい急成長だね。 どうして、急に碁を始めようと思ったの?」 げっ。天野さんは意外とするどい質問を投げかけてくる。 まさか、秀策のお化け(正確には違うけれど)に取り憑かれて始めました、なんて言えないしなぁ。 「碁自体は、じぃちゃ、あ、祖父がやってたたんで興味をもったんです。 で、中学校の文化祭に行った時に強い人に当たって。しばらくは囲碁部でもまれてました。」 「その強い人とは?」 「将棋…あ、いや、囲碁部の先輩です。」 「その先輩はプロじゃないの?」 「違います。」 とりあえず、嘘つくしかないよなぁ。 「なるほど。進藤くんは、本因坊秀策にこだわるようだけど何か特別な理由があるのかな?」 さすが、出版部。オレが秀策にこだわっていることまでよく調べている。 「棋譜を見たんです。そんで、すげぇな、オレもこんなふうに打ちたいなって思って。」 「それで、参考にするようになったというわけか。フムフム。」 「ところで―」天野さんはそこで一端、言葉を区切った。 「塔矢くんと進藤くんはライバルみたいなことを言われているけど、そこらへんはどうなの?」 「ライバルです。アイツには負けたくないです。」 「そこらへんは、塔矢君にも聞いてみたいんだよね。今度、聞いてみよう。」 何とかのらりくらり質問を交わせたが、やはり碁を始めたきっかけなど聞かれると辛い。 師匠がいなくて、どうしてそんな短期間で強くなったのか、と聞かれても困る。 師匠ならいた。どのプロよりも強くて並々ならぬ才能を放つアイツが。それを、言えないことがとても残念である。 しかし、週刊碁の記事になるというこのインタビュー。 塔矢親子や緒方さんも、目を通すかもしれないのだ。余計なことを書かれて、問い詰められても困る。 オレは、ふと天野さんの書いているノートを覗き込む。 進藤ヒカル二段。の下に、紹介文が書かれていた。 ”師匠も無しに碁を始めて1年で院生、そのあとすぐにプロ。だがプロになってすぐに不戦敗。 復帰してからは連勝中で、北斗杯に出場。中国戦では副将。韓国戦では大将を務める。秀策のファン。” …なんか、オレってすげー謎の棋士だな、と我ながら思った。 「天野さん、もうそろそろ、はじまりますよ。塔矢くんのリーグ戦。」 出版部の人たちが、慌ただしそうに出入りしている。 「おっともう、そんな時間か。進藤くん、ありがとう。いい記事になりそうだよ。」 オレは心の中で本当かよ、とつっこんだ。 塔矢と乃木先生の対局は白熱した戦いとなった。どっちも譲らない。 対局している塔矢の顔は相変わらず真剣な表情だった。まっすぐに盤上を見つめている。 久しぶりにまじまじと塔矢の顔を見た気がした。 そこで白地にツケたらどうだ。それで、右辺を荒らせば…。オレならそうする。 塔矢の右手が動く。やはり…塔矢もオレと同じ所に目をつけていた。 その後も、黒と白、ギリギリの争いを繰り広げ整地してみなければわからないほどの細かい碁となった。 結果は乃木先生の1目半勝ちだった。負けてしまったが、天元位を獲得した乃木先生をここまで追い詰めるとは。 やはり、塔矢の実力は並ではない。 「やぁ。進藤くん。」 帰ろうと対局場を後にしたところで、芹澤先生に声をかけられた。 「いい対局だったね。負けてしまったけど、さすが、塔矢くんだ。 私も負けていられないな。進藤くんは、天元戦三次予選進出だそうだね。」 「ハイ。」 「では、私とあたる可能性もあるわけだ。共に頑張ろう。」 「よろしくお願いします。」 オレは頭を下げた。 「進藤。」 オレが棋院を出ようとしたところで、塔矢に声をかけられた。まさか、塔矢から声をかけられるとは 思わなかったので、驚いた。 「あれ、お前、検討は?」 「乃木先生の都合が悪くなってしまったから、早めに切り上げたんだ。」 「そうか。」 一呼吸おいて、塔矢は「進藤、こないだのことだけど…」そう切り出す。 「…いや、何でもない。」 塔矢は明らかに何かを言いたげだった。棋院の自動ドアの前に立っているので、ドアが開いたり閉ったりしている。 このまま、ここに立っていたら係員の人に怒られそうだな。 「塔矢、今から、打たないか?」オレの言葉に塔矢が驚いた顔をする。 「今から?」 「ああ、疲れてなければだけど…。あ、でも場所がなぁ。お前の碁会所行くか。」 「市河さんのところは、今日、休みだよ。」 「じゃあ、オレん家でも来るか?ここから近くだし…。」 断るだろうか。オレはそう思った。だが、塔矢は「わかった」そう静かに言った。 オレのアパートは棋院から電車で10分程のところにある。 まぁそこまで近いとは言えないかもしれないが、実家から棋院まで行こうとすると40分位かかるので 近くなった方だ。 塔矢はあれから黙ったままだった。オレも何を話していいのかわからない。 塔矢は、何を考えているのだろう。 和谷は出かけているようだった。部屋が真っ暗で静かだ。 「お前ん家と比べたら、すげー狭いかもしれないけどさ。 結構、満足してるんだぜ。」 そう言いながら、オレはアパートの鍵を開けた。 「ここの家賃は君が?」 「半分オレで、あとは親に払ってもらってる。」つづく
aya 著 / 掲載サイト:【Moment】