Never End

| | 目次

  2  


それから、一週間程たったある日。
オレは、都内にある某高級ホテルを訪れていた。
塔矢の挑戦手合いの第四局が行われる。
その前の対局は、どちらも地方のホテルでの対局だったために観戦することができなかったので
今回は近場でよかったと思う。ちょうど、スケジュールも空いていた。
ホテルの入り口で見知った顔を見つけた。角脇さんだった。
聞くと、角脇さんも塔矢の対局を見に来たらしい。
「後で、伊角くんたちも来るらしいな」
角脇さんの言葉に、そういや和谷や越智も、用事が終わり次第来ると言っていた事を思い出す。
「やっぱり、塔矢のことみんな気にしてるんだな」
オレの言葉に
「当たり前だ。10代で挑戦者なんて…。塔矢アキラの実力がまさかここまでとは思わなかったよ。」
角脇さんはため息を吐きながら、つぶやいた。

一服してから向かうという角脇さんを残してオレは一人、対局場へ向かった。
今のところ、緒方さんと塔矢の成績は2対1だ。
第一局、二局めは緒方さんが勝ち、塔矢は三局めで勝利を手にした。
今回、塔矢が負ければ、これで緒方さんの防衛という形で挑戦手合いが終わってしまう。

絶対に負けられない一局だ。アイツ、どんな顔してんだろ。碁盤の前で厳しい顔をしているんだろうな…。
そう思って対局場を覗いたが、塔矢の姿が無かった。いつも、30分前には必ず対局場にいる塔矢が珍しい。
対局者にはホテルの部屋があてがわれるので、一端、部屋に寄ったのだろうか。
そんなことを考えながら、対局場の近くのトイレに行くとそこでバッタリ塔矢に出くわした。
まさか、こんな所で会うと思っていなかったので何て声をかけたらいいか、思いつかない。
オレが、しばらく黙っていると、塔矢から声をかけてくれた。
「君も見に来たのか?」
いつもの塔矢らしく、落ち着いた声だった。
「ああ。今日、一日オフだからな。頑張れよ。」
オレの言葉に、塔矢は黙ってオレを睨みつける。
もし、オレが塔矢の対戦者で、塔矢をよく知らなかったとしてこんな目を向けられたら
すくみあがってまともに打てなくなりそうだ。
それぐらい、塔矢の眼力は強烈だった。
最も、今回は塔矢のよく知っている相手だからそれが通用しないけれど。
塔矢は、最初の二局とも緒方さんに負けている。
ネット中継でオレもその対局を見たが、塔矢が現在三冠の緒方さんに
怖気づいて逃げ腰になったのが敗因という訳ではなかった。
本気の実力のぶつかり合い。おそらく、緒方さんが若干、塔矢よりも実力が上なのだろう。
キャリアも緒方さんの方が数段上なので、当然と言えば当然だ。
だが塔矢とて、並大抵の実力で挑戦者まで上がってきた訳ではないだろう。
塔矢に勝ってほしい。塔矢に対して嫉妬や劣等感が無くなった訳ではないがこうして、いざ挑戦手合いに
臨む塔矢を前にしてオレは素直にそう思えた。
「必ず、勝つよ。今度は絶対に負けない。」
塔矢はそう言って、トイレから出て行った。
塔矢らしい、強気の発言だ。なんだか、ワクワクする。
アイツ、どんな碁にする気だろう。どんな手を見せてくれるんだろう。
オレは、トイレをさっさとすませて足早に対局場に向かった。
宣言通り、塔矢は緒方さんに一歩も引けをとっていなかった。
一戦、二戦とこなしていくうちに、勝負の場での緒方さんに慣れたのだろう。
今までで一番、いい、塔矢らしい力強さが現れた碁だった。
結果、塔矢の封じ手で対局は終了した。勝負は互角だが、少しだけ塔矢に分がある。
緒方さん、涼しい顔をしていたが内心焦っているのではないだろうか。
「まさか、ここで、こう打つとは。普通、ツケるだろ。」
角脇さんとオレは別室で、塔矢たちの対局を並べて検討していた。
「でも、そうするとこっちが手薄くならないかな?オレだったら塔矢みたいに打つけど…」
「なるほど、そっちに狙いがあるのか…。」
「今日の封じ手も、アイツおそらく、ここに目をつけたんじゃないかな。」
オレの言葉に、角脇さんは「へぇ」とつぶやいた。
「進藤くん、塔矢のことよくわかってるな」
「え、いや、別に…」
そう改めて、言われると照れくさくなる。オレは慌てて、否定した。
「俺もさ、学生のころの友人でいたんだよな。」
角脇さんがふと、何かを思い出したように話し始めた。
「そいつがさ、どこに打つか手に取るようにわかるんだよ。自分と対局してる時は当たらないんだけど
そいつが人と対局してる時にさ、そこに打つだろうなぁって思ったら、その通りになるんだよな。」
「ああ、そんな感じです。オレと塔矢。」
「不思議だよなぁ。あの感覚。まぁ、何十局、何百局って対局を重ねていったら
そいつの棋風とか好みの形とか、いろいろわかってくるしな。だからなんだろうけど。」
「その友人は?今でも碁を続けてるんですか?」
オレの言葉に、角脇さんは首を振った。
「一般のサラリーマンになったよ。結婚して子どももいるしな。
趣味で、碁は続けてるけど、ハハ、今じゃそいつがどう打つのか、予想しても当たらなくなっちまった。
まぁ、オレの方が、ケタ違いに強くなったからなんだろうけど。」
角脇さんは、ハハと乾いた笑いをもらした。
「残念で、仕方ないよ。あの時のアイツと打っているのが一番、楽しかったからな。
進藤くんも、そういう相手がいるんだったら大事にした方がいい。」
角脇さんの言葉に、オレは、ハイと力強く頷いた。

和谷や伊角さん、越智の三人が到着したのは、その日の夜だった。
今日の対局は真に合わなかったが、明日の対局を見れるそうだ。
せっかくなので、オレたちも部屋をとって碁を打とうということになり
2、3でわかれて部屋をとった。
ホテルのバイキングで夕飯を食べて部屋に戻った後、みんなで碁を打った。
塔矢をバイキングで見かけたが、記者の人や緒方さんと一緒だったので結局、声をかけることができなかった。
越智が二言三言、話しかけたようだが反応が無かったと言っていた。
明日も控えている。きっと、気が張っているのだろう。
オレもいつか、タイトル戦に挑戦する時がくるのだろうか。
封じ手をしたことが無いし、プロ相手に何日も連続で戦うなんていう経験をしたことが無い。

気分転換がしたくなって、オレは部屋を抜け出して36階の展望室まで足を運んだ。
エレベーターを降りた瞬間に、大きな窓から東京の夜景が一面に見えてすげぇと思わずつぶやいてしまう。
塔矢は何回の部屋にいるのだろうか。
同じホテルに居るのだから、一回ぐらい、連絡をしてもいいよな。
そう思って上着を探って、携帯電話を取り出した。
だが、いくら電話しても塔矢は出ない。やっぱり、今夜は誰にも邪魔されずに集中したいのだろう。
まぁ、特に用がある訳でもない。仕方なしにオレは部屋に戻った。
その日、塔矢から連絡が来ることは無かった。


次の日。
塔矢の封じ手で終わった十段戦の挑戦手合い第四局の二日目が開始された。
盤上では、塔矢の黒が白の大地に深く切り込んでいた。
ホテルの一室を貸し切って記者室のようにして、塔矢たちの部屋と中継がつながっていた。
どうやら、ネットでも配信されているらしい。
オレや和谷たちが、記者室に入った時には芦原さんや、塔矢門下の棋士たち、若手も何人か来ていた
ので座れるスペースがなかった。
仕方なく別室を借り切って、検討する。角脇さんの持ってきてくれたノートパソコンで
対局の中継を見ることができた。
「塔矢、随分、勇み足だな。ここで攻めるのは弱くないか?」角脇さんの言葉に
「まずは、左辺の地を荒してプレッシャーを与えてから切り込むつもりでしょ。」越智がそう返す。
「あ」その時、黙って、画面を見ていた伊角さんが驚いた声をあげる。
「緒方先生、そこでハネ出すのか?」
オレも塔矢の左辺の攻めに緒方さんは構わずに、右辺を守るかと思った。
だが予想に反して塔矢の攻めに応じたのだ。
しかし…。次、次、と打ち続けていくうちに、緒方さんのさっきの一手が絶妙な位置にある。
うまい。緒方さんはこうなることを予想していたのだろう。
これは、塔矢、キツイな。アイツどうすんだろう。
オレだったらここをオサえるけど…。
だが、塔矢はオレの考えた所には打たずに、中央に切り込んだ。
これには、みんな驚いた。だが、うまい一手だ。
そうか、そこに打てば厚みがさらにできる。そこから地を厚くして一気に攻めたてる気だ。
塔矢、強くなったな。2回目の北斗杯の時もそう感じたが、それよりもずっと強くなっている。
くそ。オレもこんな対局がしたいな。塔矢が今、居る場所にオレも座りたい。
「進藤、どこ行くんだよ?」
オレが何も言わずに立ち上がると、和谷に声をかけられる。
「ちょっと一服。」
「あん?お前、タバコ吸わねーだろ。」
オレは、それには何も答えずに部屋を後にした。
なんだか、うずうずする。塔矢の対局を黙って見ているだけじゃ気が済まない。オレも打ちたい。

あてもなく、ホテルの中をブラブラ歩いていると
「珍しい所で会うもんじゃな」
ふと、声をかけられる。驚いて振り向くと、小柄な白髪の老人の姿が目に入った。桑原先生だ。
「こ、こんにちは」
オレが慌てて頭を下げると、先生はふぉっふぉっと笑った。
先生は昨年、本因坊の挑戦者となった緒方さんにタイトルを奪取されていた。
もう、引退なるかと噂をされていたがまだまだと、ふんばっているようだった。
「お前さんも、十段戦の挑戦手合いを見に来たのか?」
「はい。塔矢の対局を見に。」
「いい対局じゃな。緒方くんも、あの冷徹な仮面の下ではひぃひぃ
もがいておるじゃろう。」
そこで、また桑原先生は、ひっひっひと不気味な笑みをもらす。緒方さんが聞いたら、きっとめちゃくちゃ
腹をたてるに違いないな。
それにしても桑原先生、対局も見ないでこんなところでブラブラして何してんだろ。
なんて、オレも人のことは言えないけれど。
「小僧。今、時間あるか?」
「え?」
突然、声をかけられてオレは驚いた。
「一局、どうじゃ?そこのラウンジで碁が打てるそうだ。」
桑原先生の意外な誘いにオレは、驚く。
だが、桑原先生と打てる機会などそう無いだろう。それに、今、無性に誰かと打ちたい気分だった。
「はい、もちろん。」
オレは先生の対局に応じることにした。


桑原先生は本因坊を長年、守ってきただけあって、実力は相当のものだった。
洗練された打ち筋。鍛え上げられた感性で放つ一手はどれも興味深い。
オレの予想だにしない手ばかり打ってくる。久しぶりに、ワクワクするような碁だった。
ベテランの桑原先生相手に、冷静な心で打てる自分も誇らしく思えた。
2年前の自分だったら、少しは緊張してしまっただろう。
オレもいろいろ揉まれて、強くなったんだな。自分ではなかなか、わからないけれど。
「のぅ小僧、どこか雰囲気が変わったな。」
「え?」
「前はお前さんから、どこか禍々しい得体のしれない力強さを感じたんじゃが…
今のお前にはそれが感じられん。」
オレは思わず息を呑んだ。先生は佐為の気配に気づいていたんだ。
「じゃが、決して悪い雰囲気では無いようだのぅ。お前ならば、任していいのかもしれぬ。」
「任す…?」
「ほれ、小僧の番じゃ。はよ、せぇ。」
せっつかれて、オレは慌てて石を取った。

結果は、オレの二目半勝ちだった。自分でもよく打てたと思う。
「進藤ヒカルと言ったかな。」
桑原先生はそう言いながら、オレの目をまっすぐに見る。
その鋭い眼光は、まるで猛禽類のようだ。先生の長年、培ってきた勝負強さの象徴のような気がする。
「はい。」
「おぬしに、わしの野望を託そう。見事緒方くんから本因坊を奪ってみせよ。」
「…はい」
「では、わしはこれをもって、引退としようかの。」
オレは驚いて、声が出なくなった。
慌てて、何か引きとめるような言葉を、と思ったが塔矢先生のことを思い出す。
あの時、オレが何を言っても塔矢先生は決意を変えなかった。
おそらく、今回も…。
オレがしばらく、黙っていると桑原先生は「小僧、またな」とラウンジから去って行った。
その姿は、堂々としていてベテラン棋士の貫禄を思わせる。
ベテラン棋士にとって引退はそんなに重要なことではないのかもしれない。
引退をしても碁は打てるし、引退したからと言ってそれで碁の道のゴールにたどり着く訳でもない。
碁の道は長く険しい。
その身が朽ち果てようとも碁への未練のために、世に留まった佐為でさえ神の一手を極められなかったのだ。

まだまだだな、オレも。ここからだ。

つづく

aya 著 / 掲載サイト:【Moment

| | | 目次 | HOME
Copyright (c) 2011 All rights reserved.
 

-Powered by HTML DWARF-